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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第三十二木曜日(11/14)

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実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。
集会祈願

🌸 第一朗読 (フィレモン7-20)

 使徒パウロのフィレモンへの手紙

 7兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。
 8それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、 9むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。 10監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。 11彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。 12わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。 13本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、 14あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。 15恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。 16その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
 17だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。 18彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。 19わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。 20そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。

🌸 答唱詩編 詩編146 典19 ③④

:いのちあるすべてのものは、神をたたえよ。

神はとこしえにまことをしめし、
貧しい人のためにさばきをおこない、
飢えかわく人にかてをめぐみ、
捕らわれびとを解放される。【答】

神は見えない人の目をひらき、
従う人をあいされる。
身寄りのない子どもとやもめをささえ、
逆らう者の企てを砕かれる。【答】

アレルヤ唱 典268 9A

🌸 福音朗読 (ルカ17:20-25)

ルカによる福音

 20〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 21『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 22それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。 23『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。 24稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。 25しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 そもそも「神の国」とは何か。神が王として支配する世界、と訳したらよいだろうか。かつて、イスラエルには王がいなかった。しかし、周囲の国と太刀打ちできるように、人々は王を立てるように指導者サムエルに迫り、彼は不承不承認めた。王国が生まれ、軍事力が増強され、国土が広がり豊かにもなったが、同時に、王は、本来の王である神を忘れ、神の道からそれて行き、それが原因となって、王国は滅亡する。その間、ふさわしくない王に代わって、神自身が民を牧し、支配するという思想が預言者を通して広がった。そして、いつの日か、理想的な王、メシアがダビデの子孫から生まれるという信仰が芽生えて、イエスの時代を迎える。
 イエスは、そうした神が支配する世界、「神の国」が近づいた、と言われた。それは、イエスの根本的なメッセージであるだけでなく、「神の国」は、イエスによってもたらされ、イエスを信じ、イエスに従って生きる人々によって発展してゆく世界のことだった。その意味で、イエスは言われる、「神の国はあなたがたの間にある」と。しかし、その国は、人々が考えるような、いちじるしいしるしを伴ってくるものではなく、「多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥される」ことによって始まるものだ、とイエスは言う。それは、人が自分たちの努力によって打ち立てるものではなく、神がもたらされる恵みの世界である。イエスに従う者が、自らの苦しみを通して、イエスが始められた神の国の発展に貢献することが出来るよう、導きを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

11 comments

  1. 何だか久しぶりの平林師に会って、やっぱりイエズス会は面白いと再確認した。
    「私の個人主義」は愛すべき共同体のためにある。
    修道院長様がルカ福音を引用されたのもおもしろい。

    イエス・キリスト!
    あまりに豊かだ!
    ヨハネ黙示録の一見グロテスクな描写もイエス・キリストを何とかして捉えようとした深層無意識の産物だろう。
    まあ、そんな捉え方も「文学と精神分析」のようでちゃちいが。

    ともかくイエス・キリスト。
    そして失礼だがとりあえずイエス・キリスト!
    とりあえずのビールもイエス・キリストと乾杯!

  2. 11月11日の福音!
    ロトの妻については十字架の聖ヨハネも警戒の書で書いている。ぼくは、警戒の書は最初『愛するための自由 十字架の聖ヨハネ入門』で知ったが、十字架の聖ヨハネ自身の警戒の書がどこで読めるのか知らなかった。個人黙想をやっていたらカルメル会士が小品集に入っていると教えてくれた。
    そして個人黙想会のはずが共同体黙想会となった。
    そもそも個人黙想「会」と言うべきか?
    何だか昔、寅さんの映画にもチンピラヤクザ?役でほんのちょっとだけ出た2丁目のバーのマスター?(一見コワイが実はおネエだ)は「社員旅行中」と貼り紙してよく休んでいたが、あれは一人旅だ。社長兼ヒラ。
    ヒラというのがいい。ヒラメではダメ。ここだけの話だが最高裁だってヒラメ裁判官を批判している。
    とはいえ、天を仰ぐヒラメならばOKだと思うのでR。

  3. 2022年11月11日もあと20分で終わる。
    とにかく今日の福音!
    本当に味わい深い!
    今日、一人の典型的日本人から電話があった。だが、まさにロトの妻になるのでやめよう!
    そして今日、一箇所に電話した。その話もやめとこう。よくないハナシだから。
    ともかく11月11日の福音と明日の福音、そして、素晴らしい!!明日の分かち合いの文章!
    イエス・キリスト万歳!!!
    アーメン!アレルヤ!

  4. 今、2022年11月11日があと1時間で終わろうとしている。
    インターネットで高柳師の葬儀ミサに与った。ずっと気になっていた方だが今頃になってしまった。ミサ説教は誰だろうと思ったら平林師だった。久しぶりだ。一見地味だが本当に興味深いことを言う方で告解やミサや講座、とここまで書いて、そうだ!最近目にしたインターネットのフォローアップ講座をまだ見てないと思い最初の方だけほんのちょっと見たが、うーん、平林師の話が私をどこに連れてってくれるかわからないのでまずは、フォローアップ講座を見る前の段階で感じたことを書こうと思う。
    とはいえ、フォローアップ講座をほんのちょっとだけ見てしまったので、どうしても懐かしくなる。
    はじめてフォローアップ講座に出たのは2007年12月8日土曜日だったと思う。ああ!
    どうしよう!これも書き始めると相当長くなりそうだ。
    とにかく高柳師の葬儀ミサのことだけにしようか。でもこれも、高柳師をもう少し知ってからにしたくなってきた。
    となると平林師のこと。おそらく最初の出会いは昼のミサだった。2009年9月14日だと思う。十字架について。ああ!これも長くなりそうだ!
    とにかく、高柳師と、平林師、そして、(そして実は、ここに書いていいのか、書くのやめよう。大杉重雄『アンチ漱石 固有名批判』なんてペテン師のように旧友というか悪友(すまん!)を引き合いに出し逃げることにしよう)ともかくフォローアップ講座は素晴らしい。
    ということで早く寝よう。

  5. どうしても人々に助けを求めてしまう。それでよいのか?
    弁護士によって拉致され、失踪中の母とせめて死ぬ前にひと目でも会いたいと地元の別の弁護士とアポイントメントを取ったがキャンセルした。
    すべての人から排斥されているのに、そこに再び助けを求めても仕方ない。というか、もっと大きな力で何とかしたいと思ったのか。母と私だけ助かるなんて、なにか違うと思ったのも確かだが。
    私も混乱していた。

    四半世紀ぶりに、以前一緒に勉強していた旧友と同じ空間にいた知り合いと言うべきか・旧友に電話をした。
    二人とも仕事中なのに母と私の受難のいきさつや信仰について長時間、聞いてくれた。

    一人はロマン・ロランやベートーヴェンやエーリッヒ・フロムが好きで、ぼくが落ち込んだとき映画『スミス都へ行く』のビデオを借りてきて下宿で見せてくれた。今は他県の弁護士会の会長を歴任しその県で活躍している。まさに、スミス都へ行く!のように上京し、この国の政治を変えよう!と誘ったが、その意志はなく、今の県に留まると。今思えば不遜な願いをしたものだ。どんなに小さな群れでも放棄するなんて、まさにイエス・キリストに反する。彼こそ未受洗のキリスト者で、ぼくが反キリストになってしまった。

    マスコミ関係に勤める旧友は、学生時代、体育会で活躍し、ぼくが居場所にしていた教育学研究室で知り合った。ぼくが法学部ということもあり彼が卒論作成中、廊下で確か、教育内容請求権と教育内容要求権の違いを尋ねられた(今思えば彼と一対一で話したのはおそらくその廊下の立ち話の時ぐらいで、今日ほど長話をしたことも自分のことをぼくが語ったこともなかった)。
    例えば教育委員会に前者がみとめられれば現場の教師は意思に反しても従わなくてはならないが、後者が認められるだけならば、教師は教育委員会の要求に反して自由に内容を決定できる。教育法ゼミの指導教官やぼくは自由主義の立場から後者を採る、とその時明言したと思う。前者はまず公選制の教育委員会を前提に教育の人民統制という発想に近づく。私は当時、個人主義・自由主義の立場で教育内容と外的条件整備とを区別する内外区別論を採っていた。国や行政や教育委員会は金は出しても口を出すな、という考えだ。

    今はどう思うか。抽象的に論じるより自分と親との関係について。
    事実上、東京で下宿していれば望むか否かに関わりなく内外区別論になってしまう。同居していれば要求権か請求権かは財政を掌握している親が決めることになるが、むしろ決定的なのは親と子の具体的議論・口論・対話の内容だと思う。

    ぼくは、どうしても親にお金を要求する気にならなかった。どうしても必要な時は予算の明細を書いて渡した。却下されたのは一度だけだったと思う。むしろ父母の方から、お金は足りているか、と聞いてきたり、二千円を新しい小さな茶封筒に入れてくれたりした。
    父母はぼくにプレゼントする言葉を持たず、せめてお金を、と、折々にプレゼントしてくれたのだと今思う。
     父母は、ぼくに語る言葉を知らなかったからこそ、対話というよりも口論・対決ということが圧倒的に多かったが、晩年は全く反対だった。
    父や母が言う言葉に、はっとさせられた。

    父も母もぼくを絶対的に信頼してくれた。
    今も涙が出てくる。これほど力強いことはない。

    イエス・キリストに感謝!

  6. 分かち合いを読む前にいろいろ書いてしまった。
    とにかくコロナ禍以降、否、もっと以前、おそらくスマホやSNSが普及して以降、人が顔と顔を合わせて話す機会が激減した。
    何か、もっと自然や人間の本来のあり方を求めずにいられない。
    神により頼むしかないが、人と神を和解させたイエス・キリスト。当然、人々から排斥され誰よりも苦しまれた。
    仲介者は双方から攻撃を受ける。
    人々を神へ導くゆえにゲッセマネから十字架上でも神に見捨てられつつ、神への信仰と従順を貫かれたイエス。
    神とは何か、人間とは何か。
    イエス・キリストこそすべてを知り貫かれた、双方への愛。

  7. 神の国と(近代)国家との同質性・異質性は何か?

    • 参考かヒントか、答えはないと思うが。

      概念言葉とこと言葉

      パウロ神学と言うがイエス神学とは言わない

  8. 人間ジャンケンだと思う。
    ぐうチョキぱあ。

    三位一体???

    イカーン
    いターン??

  9. 今日の福音は自分への戒めになる。
    敢えて人々に騙される必要はない。
    キリストの苦しみに日々あやかって生きたい。
    管区長が説教の中でフランシスコ教皇の言葉を引用し、いきなり十字架上の死を受けようとするのではなく、日々の苦しみを受け入れてゆく、、という意味のことを言われていた。
    生まれた時から、いきなり受難の生活に放り込まれた典型的な日本人としては、日本の俗物的世間の家族・親戚・故郷にだまされ、早すぎる受難と死に巻き込まれる危険が大いにある。日本人の圧倒的多数は真実と正義に基づく真の愛を知らない。つまり、イエス・キリストを知らない。
    目に見える情況や人々に惑わされず、日本や米国の成り金・人殺しを相手とせず、
    イエス・キリストを受け入れて賢く素直に生きている人々に倣って生きていきたい。

    • これも言い過ぎ。
      言葉化しない、あるいはできないだけで救い主はいたと思う。日本や東洋にも。

      澤田和夫神父様にアガペ会の皆んなで会った時、ここにいる皆んなは幼児洗礼ではないとある会員が言ったら、
      でも、お母さまの愛を信じていらっしゃるでしょう。
      と言われた。
      うまく言えないが、我々が今、ここにいるだけで価値があり愛の存在証明。
      どうにか自ら死んだり殺したりを止めたい。

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