『平和があるように』と挨拶しなさい
聖ベネディクト修道院長(記)
集会祈願
恵み豊かな父よ、あなたは聖ベネディクトを選び、修道生活の偉大な指導者とされました。私たちもすべてに越えて神を愛し、そのおきてを、惜しみない心で守ることができますように。聖霊による一致のうちに、あなたと共に神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (ホセア11:1-4、8c-9)
ホセアの預言
〔主は言われる〕
まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。
エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。
2わたしが彼らを呼び出したのに
彼らはわたしから去って行き
バアルに犠牲をささげ
偶像に香をたいた。
3エフライムの腕を支えて
歩くことを教えたのは、わたしだ。
しかし、わたしが彼らをいやしたことを
彼らは知らなかった。
4わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き
彼らの顎から軛を取り去り
身をかがめて食べさせた。
イスラエルよ
お前を引き渡すことができようか。
アドマのようにお前を見捨て
ツェボイムのようにすることができようか。
わたしは激しく心を動かされ
憐れみに胸を焼かれる。
9わたしは、もはや怒りに燃えることなく
エフライムを再び滅ぼすことはしない。
わたしは神であり、人間ではない。
お前たちのうちにあって聖なる者。
怒りをもって臨みはしない。
🌸 答唱詩編 詩編80 典80①⑤
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手を差し伸べて。
イスラエルを牧するかたよ、耳を傾けてください。
ヨセフを羊の群れのように導く方、
光を放ってください。
ケルビムの上に座しておられる方。
全てを治める神よ、あなたの目を注いで、
誠のぶどうの木を顧みてください。
あなたがご自分で植えられた苗
強められた若枝を守ってください。
アレルヤ唱 典268③
アレルヤ・アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ・アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ10:7-15)
マタイによる福音
〔その時、イエスは使徒たちに言われた。〕「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 8病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。 9帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。 10旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。 11町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。 12その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。 13家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。 14あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。 15はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
使徒たちが派遣されるにあたって語られた言葉。いわば、宣教者の使命と言ってよいかもしれない。まずは、「天の国(神の国)は近づいた」と宣言すること。これが、すべての中心。イエスの働きは三つ:教えること、福音を宣べ伝えること、そして、癒しを行うこと。ここでは、最初の「教える」が言われていないのはなぜか。
使徒たちの後継者である、司教、司祭は「教える」ことにかなりのエネルギーを注いでいる。勉強会、講演会、出版、そして、ミサごとの説教等、それも大事なこと。無視されているわけではない。しかし、宣教の中心は「神の国」の現実がそこまで来ていること、あるいは、すでに来ていることを告げること。神が人々の中で、生き働いていることを、それぞれの形で証しすること。使徒のような、特別ないやしの恵みは受けていないかもしれない、主イエスを直接体験したことはないかもしれない。しかし、その人の中に、人生の様々な出会いや体験を通して、神が働いていてくださることを語り、分かち合うこと。それではないか。
そして、さりげなく添えられている言葉:「人々がそれを受けるにふさわしければ」とある。そのふさわしさは、その人が持って生まれた才能や性格、成長と共に身に着けた知識や技術、といったものではなく、神が与える恵み、人間が働く前に、神が用意していてくださる、そんな「開かれた心」。辛い、人に言えない経験かもしれない。忘れてしまいたい、失敗の経験かもしれない。それによって、「砕かれ」、へりくだることを学んだこと、そこに神が働く場があるのではないか。(S.T.)