集会祈願
恵み豊かな父よ、御子キリストは、その死を記念するとうとい秘跡を教会に残してくださいました。主のからだを受け、救いの力にあずかるわたしたちが、主の死を告げ知らせることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン、
🌸 第一朗読 (出エジプト24.3-8)
3〔その日、モーセは山から〕戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。 4モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。 5彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。 6モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、 7契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、 8モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」
🌸 答唱詩編 詩編116 典97 ①②③
答 このパンを食べ、この杯を飲み、
わたしは主の死を告げ知らせる。
神が与えてくださったすべての恵みに
どのようにこたえようか。
わたしはすくいの杯をささげ、
神の名を呼び求めよう。 【答】
神を敬う人の死は
神の前にとうとい。
神よ、わたしはあなたに仕え、
あなたはわたしを救われる。 【答】
わたしは感謝のいけにえをささげ、
神の名を呼び求めよう。
全ての民の前に進み出て、
神を立てた誓いを果たそう。 【答】
🌸 第二朗読 (ヘブライ9.11-15)
11〔皆さん、〕キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、 12雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。 13なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、 14まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。
15こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。
アレルヤ唱 典266 キリストの聖体
アレルヤ、アレルヤ。わたしは天から下ったいのちのかて。このパンを食べるものは、永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マルコ14.12-16、22-26)
マルコによる福音
12除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。 13そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。 14その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』 15すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」 16弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
22一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」 23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。 24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」 26一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
奉納祈願
喜びの源である神よ、この供えものをささげて祈ります。秘跡によって示される平和と一致の恵みを、あなたの教会にお与えください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
信じる者の力である神よ、御子キリストのとうといからだと血をいただいたわたしたちを、約束された永遠のいのちにあずからせてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 分かち合い
今日はキリストの聖体の祝日で、はじめてご聖体をいただくことになる子供たちがいるでしょう。洗礼を受けた時には、まだ小さくて何も分からなかったでしょうが、初聖体の準備をしながら、少しずつ、何を信じているのか、神様はどんな方で、イエス様はどんな生き方をされたのか、わかってきたのではないかと思います。小さい時には、お母さんからなんでもしていただいて、それが当然と思っていますが、大きくなると、お母さんやお父さんのご苦労や、優しいこころが分かってきて、ありがたいと思うように、洗礼を受けた時には、ただ、いただくだけだったお恵みの意味を、少しずつ理解できるようになったのではないかと思います。
今読まれた福音で聞いたように、イエス様は亡くなる前の晩、愛する弟子たちと食事をする間、パンを取って、「これはわたしの体」と言って、皆に配り、ぶどう酒の満ちた杯を取って、「これは、多くの人々のために流されるわたしの血、契約の血」と言って、皆に渡されました。
ミサの中で、司祭が唱える言葉は、最後の晩餐でイエス様が唱えたのとまったく同じ言葉です。そして、聖体拝領のときに皆がいただくご聖体は、この最後の晩餐のときに、弟子たちがいただいたのと同じパンです。ミサは、最後の晩餐でイエスがなさったことを記念し、その恵みにあずかる大事な式です。今日、はじめていただくご聖体は、最後の晩餐でイエスの弟子たちがいただいたパンと、全く同じイエスの体とされたパンであることを、しっかり心に刻んでください。
わたしたちの体のいのちは毎日、ご飯をいただいて成長してゆきます。一日も欠かすことはありません。それと同じように、洗礼によって神様からいただいたいのちも、神様が用意してくださった食べ物によって、生かされ、成長します。この神様からいただいたいのちを生かす食べ物が、今日いただくご聖体です。
それは、わたしたちを大事に思ってくださるイエス様の心、思い、愛を表すものです。わたしたち皆が、神様のいのちに生きるようにと、十字架上の苦しみを通して捧げられたイエスのお体なのです。人間は食事をすると元気になります。力が湧き、やる気が出てきます。同じように、ご聖体をいただくと、わたしたちの中に眠っていた愛が目を覚まします。凍っていた心が優しく柔らかくなり、いやなこと、やりたくないことも受け入れ、やりとおす勇気が与えられます。イエス様の、皆とともにいたい、と思うあつい思いがわたしたちの内に入って来られるのです。
昔、聖フランシスコ・ザビエルの時代に、日本にキリスト教が伝えられてきて、多くの人が洗礼を受け神の子どもとなりました。しかし、キリスト教が広がるのをよく思わなかった人々によって、キリスト教が禁止され、司祭も、ミサも、秘跡もない時代が250年も続きました。それでも、信者たちは、いつの日か、必ず宣教師がやってくる、ミサに与る日が来ることを疑わずに、信仰を守りました。
初聖体の大きなお恵みに感謝しながら、一層深い信仰とイエス様への愛をもって、まだ神様を知らない人々の中で、神様の愛を証しすることができるよう祈りながらミサを続けましょう。(S.T.)