復活節第二主日A年(4/12)

見ないのに信じる人は、幸いである

🌸 第一朗読 (使徒言行録2:42-47)

使徒たちの宣教

 〔信者たちは、〕使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。43すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。 44信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、 45財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。 46そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、 47神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

🌸 答唱詩編 詩編118 典87①②③

:きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。

恵み深い神に感謝せよ。
そのあわれみは永遠。
イスラエルよ、叫べ。
神のいつくしみは絶えることがない。【答】

神の右の手は高くあがり、
その右の手は力を示す。
わたしは死なず、わたしは生きる。
神のわざを告げるために。【答】

家造りの捨てた石が、
隅の親石となった。
これは神のわざ、
人の目には不思議なこと。【答】

🌸 第二朗読 (1ペトロ1・3-9)

使徒ペトロの手紙

 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、 4また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。 5あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 6それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、 7あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 8あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。 9それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

アレルヤ唱 典

アレルヤ、アレルヤ。トマよ、あなたはわたしを見たので信じた。見ないで信じる人は幸い。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ20:19-31)

ヨハネによる福音

 19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。
 24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
 30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 復活祭から一週間、満開の桜が姿を消し、新緑とつつじの美しい時期になりました。単純に主が十字架の死から立ち上がり、復活されたことを喜ぶときから、一歩進んで、復活を信じて生きることの意味を考える時になったのではないでしょうか。復活第二主日に毎年読まれる福音は、ヨハネ20章に記された使徒トマスの体験です。アレルヤ唱で歌われた、「トマよ、あなたは私を見たので信じた。見ないで信じる人は幸い」という言葉。この言葉の意味をゆっくり考えてみましょう。
 お聞きになったとおり、トマスは、復活されたイエスが使徒たちにお現れになったとき、なぜか、皆とともにいませんでした。皆がイエスに会った喜びを伝えても、トマスは喜ぶことができません。「わたしはあの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と。このトマスの発言から、彼はいかにも、疑い深い、懐疑主義者のように思われがちですが、はたしてそうでしょうか。
 実際、ペトロをはじめ使徒たちは、イエスの復活を容易に信じようとしませんでした。イエスに出会った、イエスを見た、という仲間の言葉を聞いても、一向に信じようとしなかったことは、マルコ福音書16章に繰り返し記されています。今日の福音のはじめの部分でも、「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」と記されています。恐れのあまり身を隠していた弟子たちに、イエスが姿を現され、その手とわき腹をお見せになると、弟子たちは「主を見て喜んだ」とあります。イエスの最も近くで起居を共にした使徒たちも、十字架上で亡くなられたイエスが復活して、生きておられるとは、とうてい考えられなかったのです。彼らの目が開かれ、復活を信じることができたのは、イエスご自身が自らを現わし、生きていることを示された、いわば、弟子たちが復活のイエスを直接体験したことによるのです。そして、これは、教会の礎となる使徒たちに与えられた特別な恵みだったことは否定できません。
 トマスは再び機会が訪れたとき、復活された主に出会い、イエスの言葉を聞きます。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」とイエスに諭され、「わたしの主、わたしの神よ」と素晴らしい信仰告白をします。トマスも、他の弟子たちと同じように、直接復活の主を体験することによって、復活の主を信じる恵みをいただくのです。彼も、他の弟子と同様に、教会の礎となる使徒の一人だからです。
 翻って、わたしたちの信仰を考える時、わたしたちが使徒たちから伝えられた信仰を守っていることは確かです。復活された主を直接体験した使徒たちが語り、復活した主の力によって様々な不思議を行い、教会を発展させた使徒たちの伝えた福音を信じて生きています。使徒たちが受けた特別の恵みとは違う状況の中にありながら、復活について聞き、信じているのです。それは、ある意味で、復活の主に出会う前のトマスの経験とつながります。しかし、主に出会って、復活を信じたトマスにイエスは言われます、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と。これは、わたしたち、直接、復活の主を体験することのないものに向かって言われた言葉です。
 わたしたち、教会に生きるものは、直接主に出会うことはありません。しかし、人生の中で出会う様々な苦しみ、痛み、負わされる傷、無力とみじめさの体験、こうしたことを、主が味わわれた苦しみと重ねることができた時、わたしたちは、復活の主に一歩近づくのではないでしょうか。主を直接見ることがなくても、主の受けられた傷を自らの中に見出すとき、また、現在、世界中で人々が負っている様々な傷の中に見ることが出来たとき、イエスを復活させられた神の力が自分の内に働くこと、復活されたイエスが主が今も、わたしたちの内に生きて働いておられることを信じる信仰に導かれるのではないでしょうか。今も、苦しみの中にある多くの人々に、復活の主が与える希望の光が注がれますように。そして、わたしたちも、復活の主への信仰を、日々の現実の中で、一層確信をもって生きることが出来ますよう祈りましょう。(S.T.)

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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