年間第二十八主日B年(10/13)
神は何でもできるからだ
集会祈願
すべてにまさる知恵を与えてくださる神よ、あなたのことばはいつの時代にも力強く働いています。私たちの心を福音の光で照らし、目先のものへの執着から解き放ってください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (知恵7.7-11)
7わたしは祈った。
すると悟りが与えられ、
願うと、知恵の霊が訪れた。
8わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、
知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。
9どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。
知恵の前では金も砂粒にすぎず、
知恵と比べれば銀も泥に等しい。
10わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、
光よりも知恵を選んだ。
知恵の輝きは消えることがないからだ。
11知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。
知恵の手の中には量り難い富がある。
🌸 答唱詩編 詩編90 典52 ①④⑤
答 神のはからいは限りなく、
生涯、わたしはその中に生きる。
主よ、あなたは代々にわたって
わたしたちの住まい。
世界が造られる前から、永遠にあなたは神。
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、
日々わたしたちに、
喜びの歌をうたわせてください。 【答】
だれがあなたの怒りの力をさとり
憤りの恐ろしさを知っているのか。
残された日々を数えることを教え、
知恵に向かう心をあたえてください。【答】
あなたのわざをわたしたちの上に、
あなたの輝きを子孫にあらわして下さい。
私たちの神、主はその恵みを注がれ、
わたしたちの手のわざが
実り豊かなものとなるように。【答】
🌸 第二朗読 (ヘブライ4.12-13)
12神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。 13更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。
アレルヤ唱 典273 28B
アレルヤ、アレルヤ。心の貧しい人は幸い、天の国はその人のもの。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マルコ10.17-30、または10.17-27)
マルコによる福音
17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 29イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 30今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。
奉納祈願
恵み深い神よ、救いの言葉に強められ、希望のうちに祈ります。主キリストの奉献を祝うわたしたちが、復活のいのちを受け継ぐ者となりますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
いつくしみ深い神よ、ひとり子イエスのいのちに結ばれて祈ります。あらゆる富にまさるあなたの愛に生かされ、喜びをもって主に従う道を歩むことができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 分かち合い
イエスのエルサレムへの旅がいよいよ終わりに近づくと、イエスの深い思いが、一層激しく語られるようになる。「永遠の命を受け継ぐ」とか、「神の国に入る」とか、言うことはどういうことなのか。現代に生きる人間にも、簡単に理解できるものではないが、イエスの時代に生きた人々にとっても、決して明解ではなかったようだ。
ある人がイエスに近づいて尋ねる、「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょぅか」と。律法を守り、神に忠実に生きてきた人であろう。ファリサイ派の人とは異なり、正直にイエスに問う。イエスの答えは、当時のユダヤ人にとって、当然のような答え、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな」等。十戒に掲げられた、最も基本的な掟。男は、そんなことなら、子どもの頃からずっと守ってきた、と答える。イエスは、「彼を見つめ、慈しんで言われた。『あなたに欠けているものが一つある。行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。・・・それから、わたしに従いなさい』と。
イエスは、掟を守ることを否定しないが、それがすべてではない、それ以上に大事なことがある、と言われたのだろうか。しかし、その男は、「その言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った」、とある。イエスから愛の招きを受け、それに応える道を教えられたにも拘わらず、その男はイエスに従うことを拒んだ。「たくさんの財産をもっていたから」とマルコは記す。たくさんの財産を持っている人間は、容易にそれを手放すことが出来ない。大金持ちであれば、相当の寄付をしても、何の痛みも感じない。むしろ、大口の寄付はその人の栄誉であり、もう一つの財産になるのだろう。かえって、そこそこの財産をもっている人にとって、手放すことは難しいのかもしれない。
そして、イエスは言われる、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」。さらに、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と。
この少々大げさなたとえをもって、イエスは何を言おうとされたのだろうか。「持っている物を売り払って、貧しい人に施せ」という言葉は、とかく、恵まれな人々への慈善の行為、と受け止めがちだが、実は、貧しい人々への善行というよりも、自分自身にとって、神の国に入るための絶対条件として、課せられる行為ととるべきではないだろうか。「神の国に入る」と言うことは、自分が持っているものにさらに加えられる何かではなく、持っている物をすべて手放すことによって、はじめて与えられる恵みなのである。しかし、人間は思い違いをする。人間は価値あるものを自分の手に入れるために、あらゆる努力をし、持てる私財を投じることも厭わない。しかし、本当に価値あるもの、永遠の命、神の国に入るために、自分の持てる最も尊いものを手放そうとはしない。イエスは、まさに、そのような自分の最高の宝を手放すときに、はじめて最高の価値を手に入れることが出来るということを教えておられるのではないか。
それは難しいこと、神の力、恵みなしに、人間の努力だけで成し遂げることができないものであることを、イエスは教えておられるのだ。
ペトロは、「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と誇らしげに言う。果たして、ペトロは、その時点で、自分がすべてを捨てるということの意味を悟っていただろうか。ペトロが、それを悟ったのは、主の受難の折に、三度までも主を否み、にも拘わらず、復活されたイエスから、神の民を牧する大きな使命をいただき、聖霊を受けて、宣教に派遣されてからではなかったか。わたしたちも、神の国に入れていただくために、永遠の命を受け継ぐために、イエスに従うために、どれだけ自分を捨てて生きなければならないか、様々な経験を通し、人との出会いを通して、悟る恵みを祈ろう。(S.T.)