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教皇の意向:地球の叫び (9月)

年間第二十六主日(B)(9/29)

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わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである
集会祈願

信じる者の希望である神よ、あなたはわたしたちに聖霊を注ぎ、一つの民としてくださいました。ここに集まるわたしたちが、互いを受け入れ合い、心を一つにして賛美をささげることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (民数記11.25-29)

 25〔その日、〕主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。
 26宿営に残っていた人が二人あった。一人はエルダド、もう一人はメダドといい、長老の中に加えられていたが、まだ幕屋には出かけていなかった。霊が彼らの上にもとどまり、彼らは宿営で預言状態になった。 27一人の若者がモーセのもとに走って行き、エルダドとメダドが宿営で預言状態になっていると告げた。 28若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言った。 29モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」

🌸 答唱詩編 詩編19 典124 ①③④

答 主よ、あなたは永遠のいのちのことば。

神の教えは完全で、魂を生き返らせ、
そのさとしは変わらず、
心に知恵をもたらす。  【答】

神のことばは正しいく、世々に及び、
そのさばきは真実で、すべて正しい。 【答】

神よ、あなたのしもべは、これに教えあられ、
それを守る人は豊かな恵みを受ける。【答】
  

🌸 第二朗読 (使徒ヤコブ5.1-6)

 1富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。 2あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、 3金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。 4御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。 5あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、 6正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。

アレルヤ唱 典273 26B

アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのことばは真理。わたしたちを真理のうちに聖なるものにしてください。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ9.38-43、45、47-48)

マルコによる福音

 38ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」 39イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。 40わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。 41はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
 42「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。 43もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。 45もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。 47もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。 48地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

奉納祈願

恵み豊かな神よ、主イエスの奉献に結ばれるわたしたちの祈りを顧みてください。すべての人に向けられたキリストの愛を思い起こし、互いに会い合う喜びに満たされますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

すべての人の救いである神よ、聖霊に満たされ、一つの心で祈ります。わたしたちがキリストのことばに従い、現代社会に平和の福音をもたらす者となりますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 先週は、受難の予告に戸惑う弟子たちに、弟子たちの歩むべき道―仕える者となるーを示されたイエスが、今日の福音では、一歩進んで、熱心ゆえに陥るあやまちについて、注意するよう諭される。
 一つは、わたしたちも容易に陥るあやまち、つまり、自分たちだけが正しく、それに沿わない人々を退けようとする態度。「お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」、とヨハネが言う。あの敬虔そうに見えるヨハネの言葉とも思えない言い分。主は言われる、「やめさせてはならない。・・・わたしに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と。イエスの弟子である、イエスに従っているという弟子たちの矜持は、時に排他性を生むこと、よくよく警戒しなければならない。
 もう一つの点は、熱心ゆえに、人々をつまずかせること。
 一般に人をつまずかせる、といえば、少々道から外れたことをして、仲間や良心的な人、幼い子供たちに悪い影響を与えることだが、聖書の中で「つまずかせる」とは、神の道を歩もうとするものに、妨げを置く、誤らせること。注意したいのは、その後にくる言葉。「片方の手、片方の足、片方の目がつまずかせるなら、切り捨てよ」とある。心の中のことでなく、わたしたちが日常それを使って生きている、最も基本的な体の器官、手、足、目。それらは何のために与えられているのか。決して、自分を満足させるためだけにあるのではない。神の栄光を現すため、隣人を愛し、奉仕するためのものではないか。万一、それが、人に対してつまずきを与えるものであれば、潔く切り捨てよ、という厳しい戒め。「小さなもの」とは、子どものことだけではなく、社会的弱者、貧しい人、病人、障害者、今の日本で考えれば、外国から来ておられる方を指す言葉だろう。そうした、いわば、「小さな人」をつまずかせるということは、彼らへの配慮を怠り、乱暴に扱い、ひいては、人格を無視するような態度、行動ではないか。
 マザーテレサの言葉に基づいた「わたしをお使いください」というきれいな歌がある。幼稚園の子どもたちもよく歌う歌でご存じの方も多いだろう。「主よ、今日一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために、わたしの手を、お望みでしたら、今日わたしの、この手をお使いください」。「友を求める小さな人を訪れるために、わたしの足を」、「優しい言葉に飢えている人々と語り合うために、わたしの声を」、「人というだけで、どんな人々も愛するために、わたしの心をお使いください」と続く。こんな心を日々あらたにできたら、何とすばらしいことでしょう。   
 今日は、「世界難民移住移動者の日」です。中東から、アフリカから、東南アジアから、故郷を捨てて異郷に出て行かなければならなかった無数の人々のことを忘れず、彼らが、それぞれの地で、人間としての尊厳を保ち、人間にふさわしい生活ができるよう、該当地域の為政者が、十分な配慮を示して彼らに対応できるよう祈ろう。わたしたちも、彼らの行く末に思いをいたし、祈ることを忘れずに日々生きることができるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。