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教皇の意向:子を失った親 (11月)

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年間第二十五主日B年(9/22)

すべての人に仕える者になりなさい。
集会祈願

豊かな恵みを注いでくださる神よ、あなたは御ひとり子を、世に救い主としてお与えになりました。自分を低くして仕えるものとなられたキリストに、わたしたちが、この集いをとおして近づくことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (知恵2.12、17-20)

12〔神に逆らう者は言う。〕
神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。
我々のすることに反対し、
律法に背くといって我々をとがめ
教訓に反するといって非難するのだから。
17それなら彼の言葉が真実かどうか見てやろう。
生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。
18本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。
敵の手から救い出されるはずだ。
19暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。
その寛容ぶりを知るために、
悪への忍耐ぶりを試みるために。
20彼を不名誉な死に追いやろう。
彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」

🌸 答唱詩編 詩編54 典8 ①②

答 荒れ地のかわき果てた土のように、
  神よ、わたしはあなたを慕う。

神よ、あなたの名によってわたしをすくい、
あなたの力で守ってください。
神よ、わたしの祈りを聞き、
わたしのことばに耳を傾けてください。 【答】

神よ、わたしはすすんでいけにえをささげ、
いつくしみ深いあなたの名をたたえる。
神はわたしの助け、わたしのいのちの支え、
あなたはすべての苦しみから
わたしを救われる。 【答】

🌸 第二朗読 (ヤコブ3.16~4.3)

 16〔愛する皆さん、〕ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。 17上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。 18義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
 1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。 2あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、 3願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 

アレルヤ唱 典270 25B

アレルヤ、アレルヤ。福音によって神はわたしたちを召し出し、主イエス・キリストの栄光に預かるものとしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ9.30-37)

マルコによる福音

 30〔その時、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
 33一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 34彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。 37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

奉納祈願

いつくしみ深い父よ、主の死と復活を記念する食卓を囲んで祈ります。すべてを与え尽くされたひとり子イエスに、わたしたちが固く結ばれますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

愛といつくしみの源である神よ、仕えるために来られたキリストに結ばれて祈ります。わたしたが互いに仕え合い、ゆるし合うことによって世界に平和を実現する力となることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の典礼は、イエスが自ら受けようとしておられる苦しみと死についてはじめて予告された後、神々しい光に包まれた姿を垣間見せた変容の出来事の後、再び、自分が苦しみにあい、十字架にかけられて死ぬことを明言されたことを記します。しかし、弟子たちは、最初の予告の時にイエスの言葉を素直に受け止められなかったように、「この言葉がわからなかったが、怖くて尋ねられなかった」と、マルコは記しています。

 そして、弟子たちは、イエスの思いを受け止められなかっただけでなく、まったく正反対とも思える行動に出ます。自分たちの間で、だれが一番偉いのかということで議論をしていたのです。この人間的な思いは、イエスの受難が近づいた時にも、使徒たちの間で再度現れてきます。しかし、イエスは彼らの思いを批判するのではなく、優しく諭されます、「いちばん先になりたいものは、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と。今、自民党総裁選挙に立候補された方々は、立派な目標を掲げて、党のトップ、ひいては、日本の最高指導者として立つことを目指して戦っておられます。それぞれの目標は素晴らしいものですが、誰一人として、すべての国民に仕えるということを掲げる人はおりません。むしろ社会全体が直面している喫緊の課題、また、国民が期待していることに応える政策を打ち出すことに専念しておられます。

 イエスが「仕える者になる」というとき、何を意味しておられたでしょうか。昔、イスラエルにも王がおりました。周辺の強国に立ち向かうことのできる、しっかりした軍事力を備え、民を力で支配しようとする王もおりました。あくまで、イスラエルを導かれた神を敬い、その教えに従って生きることを選んだ王もおりました。イエスが、求めておられた「仕える者」とは、皆の後に立ち、皆を支え、奉仕するリーダーの姿でした。それを教えるために、イエスは、すぐに「子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と、言われました。

 イエスが言われる「子どもを受け入れる」と言うことは、文字通りの小さな子供だけでなく、人々から、小さなもの、力のないもの、忘れられるもの、差別されるもの、軽蔑され、無視されるもの、そのような存在を大事に思い、しっかりと心を向ける、彼らの世話をすることです。それは、イエス自身がそう言われたように、当時の社会で低く見られていた羊飼いの役割を担うこと、牧者の使命に徹することを意味します。イエスは、まさに、そのような人々を大事にし、あえて近づき、慰め、癒し、力づけ、あらたな命を授けられました。そして、弟子たちにも、同じような心をもって生きることを望んでおられたのです。

 先週の日曜日は、「敬老の日」に因んで、教会の高齢の方々のために特別にお祈りする日でした。長い年月を生きてこられた先輩方は、それぞれ豊かな人生経験を積んでこられたと思います。喜ばしいこと、楽しいこともたくさんおありだったでしょう。同時に、つらいこと、悲しいことも経験されたと思います。子どもさんや家族の方々の世話をされ、苦しみの中にも生きがいを感じてこられたことでしょう。同時に、報われない、損な役回りを演じてきたと振り返って思われる方もあるかもしれません。自分のことよりも、家族のこと、人々のことを第一に考え、身を粉にして働き、自分のためには、何も残っていない、と思われる方があるかもしれません。今、まさに、小さなもの、顧みられないもの、忘れられたものとして、晩年を過ごしていると感じておられる方もあると思います。そのような高齢者のことを大切にしようという思いは、歴代教皇の中にもありました。しかし、フランシスコ教皇は、その思いを強くされ、三年前の5月、毎年7月の第四主日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日」とすることを決定されました。

 教皇フランシスコは高齢者に期待したいこととして、夢、記憶、祈りの三つの柱をあげ、夢についてこう言われます、「『老人は夢を見、若者は幻(ビジョン)を見る(ヨエル3.1)』。世界の未来は、若者と老人のこうした結びつきにあります。若者のほかに、いったいだれが老人たちの夢を受け継ぎ、それを推し進めることができるでしょうか。しかしそのためには夢を見ることが必要です。正義、平和、連帯を求めるわたしたちの夢の中に、若者たちが新たな幻をもつ可能性が秘められており、わたしたちはともに未来を築けるのです」と。

 わたしたちの集いが、多くの高齢者によって豊かにされ、祈りに支えられていることを感謝しながら、主が彼らの日々を豊かな恵みで満たしてくださるよう祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。