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教皇の意向:地球の叫び (9月)

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年間第二十主日(8/18)

このパンを食べる者は永遠に生きる
集会祈願

慈しみ深い父よ、あなたを深く愛する心をお与えください。すべてにおいてあなたを愛し、人の思いをはるかにっ越えた幸せにあずかることができますように。聖霊による一致のうちに、あなたと共に神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (箴言9・1-6)

箴言

1知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。
2獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え
3はしためを町の高い所に遣わして
呼びかけさせた。
4「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」
意志の弱い者にはこう言った。
5「わたしのパンを食べ
わたしが調合した酒を飲むがよい
6浅はかさを捨て、命を得るために
分別の道を進むために。」

🌸 答唱詩編 詩編145 典18⑤⑥⑦

答: いのちあるすべてのものに、
   主は食物を恵まれる。

神よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ、
あなたに従う人は感謝して歌う。
彼らはあなたの国の栄光を語り、
力あるあなたの業を告げる。  【答】

あなたの国は永遠の国。
あなたの支配は世々に及ぶ。
神は悩みの内にある者を支え、
倒れる者をすべて立たせてくださる。 【答】

神を待ち望むすべてのものに、
命の糧を豊かに恵まれる。
生きているすべてのものの願いを、
神は豊かに満たされる。  【答】

🌸 第二朗読 (エフェソ5・15-20)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

 〔皆さん、〕15愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。 16時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。 17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。 18酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、 19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。 20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。

アレルヤ唱 典272(29B)

アレルヤ・アレルヤ。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人はわたしのうちんいとどまり、わたしもその人の内にいる。アレルヤ・アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ6・51-58)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕 51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
 52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。 53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。 58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

奉納祈願

聖なる父よ、ここに供えるものはあなたからいただいたもの。このささげものを受け入れ、私たちを永遠のいのちに与らせてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

慈しみ深い父よ、感謝の内に祈ります。秘跡によってキリストに結ばれた私たちが、日々キリストの姿に似る者となり、その命に永遠にあずかることができますように。主キリストは生きて、治めておられます、世々とこしえに。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日もヨハネの福音書6章の4回目の朗読を続けます。最終回は来週です。テーマは同じで、「いのちのパン」としてのイエスです。先週に引き続き、イエスは、ご自分が与える食物をいただく者はだれでも永遠に生きると言われます。しかし、今日、イエスはこうも言われます:「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」当然のことながら、周囲の人々はこの奇妙な響きを持つ言葉に深い衝撃を受け、こう言います:「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」。「この人」という言葉には、イエスの正体に対する無知と相まって、ある種の軽蔑が含まれているのです。

イエスの真意は?
 もちろん、文字通りの意味合いではありませんが、それが今日の福音の考えの背景にあります。では、イエスが言われたことの正確な意味は何だったのでしょうか。イエスはご聖体について語っただけなのでしょうか。それだけではありません。イエスの肉を食べ、イエスの血を飲むことは、イエスと完全に結ばれ、イエスの霊とビジョンに満たされることです。それは、聖パウロとともに言うことができるようになることです:「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラ 2:20)
 それはイエスのビジョン、考え方、価値観を完全に共有することです。それは、この世に御国を築くというイエスの使命に完全に同調することです。それは、ご聖書を通して私たちにもたらされるイエスの御言葉によって養われ、それによって私たちの人生を方向づけられることです。
 さらに、イエスの肉と血は、イエスの苦しみと死と密接に関連しているため、私たちもまた、その完全な自己犠牲と同一視すること、すなわち、イエスに倣って自分の十字架を背負い、私たちの人生に訪れる苦しみを受け入れることです。今日、イエスは私たちに、ご自分に従うこと、ご自分と共にあること、ご自分の使命を完全かつ無条件に分かち合うことを求めておられるのです。

真の知恵
 このように生きることが真の知恵です。第一朗読では、知恵は七本の柱で家を建てたと擬人化されています。彼女は壮麗な宴会を用意し、召使いを遣わして、無知な者、知恵のない者をすべて呼び寄せて言いました:
 「わたしのパンを食べ
 わたしが調合した酒を飲むがよい
 浅はかさを捨て、命を得るために
 分別の道を進むために。」
 エフェソの信徒への手紙(第2朗読)もまた、今日の私たちに告げています:「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。」
 イエスの肉と血であるパンとぶどう酒は、知恵の源であり、人生の意味と目的についての真の理解を与えてくれます。その食べ物を食べるということは、肉体的な面だけでなく、精神と心の面でもイエスに近づくということなのです。そしてそれは、いのちのパンとしてのイエスと、知恵の源としてのイエスを結びつけることになるのです。私たちの人生における知恵の源とは、イエスが与えてくださる人生のビジョンを全面的に受け入れることです。イエスはその源であり、そのビジョンを与えるパンなのです。

食物としてのご聖体
 私たちがそれを表現し、この呼びかけを思い起こさせる特別な方法は、御からだを食べ、御血を飲むご聖体の祭儀(ミサ)です。
 ご聖体は、より深い現実、すなわちイエス・キリストとの継続的な関係を指し示すしるしなのです。ご聖体を祝うことは、イエスとの関係、イエスの福音との関係、そしてイエスが私たちの間に目に見える形で存在してくださる共同体との関係を深めたいということなのです。キリストにあるこのいのちは、私たちのいのちの、最も現実的な意味での糧です。この食べ物や飲み物がなければ、私たちは餓死してしまうでしょう。もちろん、私たちの肉体は動き続けますが、本当の意味で私たちは死んでしまうのです。

積極的な参加
 ですから、私たちがご聖体(ミサ)に参与し、「ご聖体を受ける」とき、イエスがただ私たちのところに来てくださったかのように、受動的にそうするのではありません。ただ敬虔に、「主イエス、ありがとうございます 」と言うだけではないのです。積極的に受け取る必要があるのです。ご聖体をいただくとき、聖職者は「キリストの御からだ」と言います。そして私たちは答えます: 「アーメン」、つまり 「はい!」または「信じます!」と答えるのです。
 このように言うことで、私たちはキリストとその福音全体を受け入れ、キリストの勝利と苦しみを受け入れるのです。私たちは、ずっとキリストと共にあり、心を込めてキリストに仕え、より良い世界を作るためにキリストと共に働きたいと言っているのです:
ー 真実と愛の世界、
ー 正義と平和の世界
ー 自由と幸福の世界
 私たち自身がその偉大な努力の本当に一部であると考えるとき、私たちは非常に現実的な意味で、その肉を食べ、その血を飲んだことを知るのです。

LivingSpaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。