年間第十七主日 B年(7/28)
「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」
集会祈願
救いの源である神よ、飢え渇くすべての人に、あなたはいつくしみの目を注いでくださいます。きょう一つに集まり、救いの言葉にに耳を傾けるわたしたちが、あなたのいのちに満たされる喜びを深く味わうことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (列王記下4.42-44)
42〔ギルガルの地が飢饉に見舞われていた時〕一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人のもとに持って来た。神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、 43召し使いは、「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えた。エリシャは再び命じた。「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」 44召し使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。
🌸 答唱詩編 詩編145 典18 ⑤⑦⑧
答 いのちあるすべてのものに
主は食物を恵まれる。
神よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ、
あなたに従うひとは感謝して歌う。
彼らはあなたの国の栄光を語り、
力あるあなたのわざを告げる。 【答】
神を待ち望むすべてのものに、
いのちのかてを豊かに恵まれる。
生きているすべてのものの願いを、
神は豊かに満たされる。 【答】
神の行われことはすべて正しく、
そのわざはいつくしみに満ちている。
助けを求めるすべての人と、
心から祈る人のそばに神はおられる。 【答】
🌸 第二朗読 (エフェソ4.1-6)
1〔皆さん、〕、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
アレルヤ唱 典269 17B
アレルヤ、アレルヤ。偉大な預言者がわたしたちに現れ、神は民を訪れてくださった。アレルヤ、アレルヤ
🌸 福音朗読 (ヨハネ6.1-15)
ヨハネによる福音
1〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。 2大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。 3イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。 4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。 5イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、 6こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。 7フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。 8弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 9「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。 14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。 15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
奉納祈願
恵み豊かな神よ、主キリストはわずかな食物で多くの人の飢えを満たしてくださいました。この出来事を深く心にとめて、わたしたちは今、主の食卓を囲みます。主の過越の神秘にふさわしい心であずかることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
いつくしみ深い神よ、あなたからいただく恵みは、分かち合うことによってますます豊かになっていきます。キリストのいのちに結ばれたわたしたちが、まわりにいるすべての人に、この喜びを伝えるものとなりますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン
🌸 分かち合い
連日猛暑が続いていますが、ようやく夏休みに入り、人々に喜びと希望をもたらすものとなるよう祈りましょう。
教会の典礼は、今年は、B年で、主日にはマルコが読まれてきましたが、今日は、特別な祝日でもないのに、ヨハネから読まれました。マルコ福音書は、マタイ・ルカと比べて短く、そのため、途中にヨハネ福音書が導入されたのだと説明されます。今日から8月の間、いのちのパンについて記したヨハネ6章から読まれることになっています。
パンを増やす出来事については、復活節の間にもよく読まれ、なじみ深い話ですが、今日は、1点にだけ絞ってお話ししたい。それは、イエスが多くの人々に不思議な力でパンを増やして与えられたとき、必ず、残ったパンについての言及があることです。ヨハネ福音では、5つのパンと二匹の魚をもっていた少年が登場し、そのわずかのパンから、5000人の人を養うに足る量のパンを与えられたことになっています。そして、すべての人が満腹したとき、イエスは「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われ、そのようにすると、12の籠がいっぱいになるほどだった、と福音書は記しています。ヨハネだけでなく、共観福音書も皆、同じように書き添えています。
これは何を意味しているのでしょうか。それは、神がなさることは、人間が必要としていることを満たすだけでなく、いつもそれを上回るほど、豊かに与えられることを意味しているのではないでしょうか。今日の第一朗読、列王記の記述の中でも、預言者エリシャは、飢饉のとき、「初物のパン、大麦パン20個と新しい穀物」をもって、100人の人々に分け与え、さらに、「彼らはそれを食べきれずに残した」と記されています。神のなさりかたはそのようなものです。わたしたちが生きているこの大地、そこに生きる命、植物と動物、それは、決して人間が生きるに必要なだけの量ではなく、それを遥かに凌駕するものです。一体なぜ、それほど多いのかと驚くほど、豊かに与えられています。それは、神の心の豊かさを表すためではないでしょうか。
人間の心は、神のこころと比べて本当に小さなものです。人に振舞うにしても、常に無駄にならないように、必要なだけ与えようとします。しかし、人間が互いに与える者はいつも限られていて、それがもとで、喧嘩が起きたり、紛争が起きたりします。神が与えるものが、いつも人間の必要を超えているのは、人間がそれによって豊かなものとなり、自分のことだけでなく、人々のことも考え、さらには、お互いの一致を考える余裕をもつためではないでしょうか。今、まさに、人類が最も必要としているワクチンのことを考えれば、それは、明らかになるでしょう。
今日、この後、洗礼の恵みを受ける方は、こうした豊かな神のいのちに与る恵みをお受けになるのだということを考えましょう。人間が与えるものは、いつも不足がちであったり、ぎりぎりであったり、まったく満足をあたえることのできないものだったりします。しかし、神が与える恵みは、いつも人間の予想・期待を超えています。貧しいものを富ませ、力のない者に力を与え、落ち込んでいたものに希望を与えるものです。どうして、そんなに、あふれるほど、いただけるのか、と驚かされます。それが、神の恵み、創造のみわざの特徴です。洗礼を受ける方が、そして、洗礼の恵みを受けたわたしたち皆が、そんな神の豊かさに満たされ、その喜びを人々と分かち合い、平和と一致のために働くものとなれますよう祈りましょう。(S.T.)