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教皇の意向:子を失った親 (11月)

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聖マタイ使徒福音記者(9/21)

わたしが求めるのは憐れみであって、
集会祈願

🌸 第一朗読 (エフェソ4:1-7、11-13)

使徒パウロのエフェソ教会への手紙

 1〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
 7しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
 11そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 13ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

🌸 答唱詩編 詩編19 典147 ①②

アレルヤ唱 典277 聖マタイ

🌸 福音朗読 (マタイ9:9-23)

マタイによる福音

 9〔そのとき、イエスは〕通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 教会は使徒の基礎の上に立っていると言われるが、わたしたちが使徒について知ることは多くない。今日記念する使徒マタイも同様。マタイという言葉を聞いて、すぐ思い出すのは、マタイ福音書のこと。しかし、マタイについて知っているのは、彼がもともと徴税人でありながら、主イエスの招きに応えて弟子、さらには、12使徒の一人となったことくらい。
 マタイ福音書の著者と見做されるほど、彼は、使徒として、共同体から尊敬されたに違いない。しかし、「徴税人」という仕事は、当時ユダヤを支配するローマに収める税金を取り立てる仕事で、4世紀の教父クリゾストモが、「徴税人よりも嫌われた仕事はない」と記しており、福音書の中で、度々「徴税人や罪人」と並べて記されるほどだった。主イエスがそうした身分の人間と食事を共にし、弟子に、さらには使徒にしたのはなぜか。
 マタイ自身どれだけ、自分を罪人として認めていたかわからない。しかし、今日の福音にあるとおり、マタイは、主の言葉を聞いて「立ち上がってイエスに従った」とある。これは、それまでの仕事をすべて捨てて、まったく新しい道を歩み始めたことのしるしである。フランシスコ教皇は、カラヴァッジオが描いた「マタイの召命」の場面を痛く愛され、ローマに赴くたびに、その絵が納められた教会をたずねた、と言われる。
 自らを誇ることのできない、小さな、あるいは、罪人と認める人間を受け入れる神の心を知るととともに、自身、自らの弱さ、醜さを認める心、主により頼む心が十分あるか弁え知る恵みを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。