年間第八土曜日(6/1)
聖ユスチノ殉教者(記
集会祈願
🌸 第一朗読 (ユダ17、20b-25)
ユダの手紙
17愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。 20bあなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。 21神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。 22疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。 23ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい。
24あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、 25わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
🌸 答唱詩編 詩編 典
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マルコ11.27-33)
マルコによる福音
27〔そのとき、イエスと弟子たちは〕またエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、 28言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」 29イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。 30ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」 31彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。 32しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。 33そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
神殿の境内でのイエスと宗教指導者たちとのやりとり。
イエスのエルサレムへの入城、また、神殿でのふるまいに驚き、憤りを感じる祭司長、律法学者、長老たちがイエスに詰問する、「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか」と。彼らにとって「権威」とは、人間が自分の力で勝ち取る権威であろう。ラビになるためには、養成する学校(イェシバ)に通って資格を取らなければならない。そうしたことを一切していないイエスに詰問するのは、人間的に見て当然かも知れない。
人間的権威と言えば、そのようなもの、教員免許、自動車免許、医師や弁護士の資格、皆同じ。無免許で免許を持つようなふるまいをすれば、たちまち、法に触れることになる。かつて、イスラエルの世界で、神からの呼びかけに応えて、資格を超えた活動を行った預言者たちは、皆、苦しい目にあった。最後の預言者、洗礼者ヨハネも、似たような状況に置かれた。
宗教指導者は、こうした預言者中の預言者、イエスを前にして、戸惑いを隠せない。ヨハネの洗礼が天からのものだ、と言えば、なぜ信じなかったのかと非難され、人からのものだと、言えば、ヨハネを信じた群衆の反応が怖い。まさに、人間的な思いにだけ縛られた人々の追い込まれた状況そのものだ。
かつて、イエスがガリラヤで教えを説かれた時、人々はその教えに驚き、「権威ある教えだ」と感嘆した。人間は人間を救うことはできない。神のみが与えることのできる救いを得るためには、神に開かれた姿勢をもたなければならないこと、あらためて心に刻もう。(S.T.)