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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十六土曜日(10/5)

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天地の主である父よ、あなたをほめたたえます
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヨブ42:1-3、5-6、12-17)

ヨブ記

1ヨブは主に答えて言った。
2あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
3「これは何者か。知識もないのに
神の経綸を隠そうとするとは。」
そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を超えた
驚くべき御業をあげつらっておりました。
5あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
6それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。
 12主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。 13彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、 14長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。 15ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。
16ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。 17ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

🌸 答唱詩編 詩編119 典75 ③④

アレルヤ唱 典271 ⑫

🌸 福音朗読 (ルカ10:17-24)

ルカによる福音

 17〔そのとき、〕七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
 21そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 22すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」 23それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 24言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ルカ福音書には、喜びという言葉がよく出る。イエスの降誕を告げる天使の言葉には、「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(2.10,11)。そして、有名な15章の話し、失われた羊、無くしたドラクメ、放蕩息子のたとえの中に、喜びが何度も出る。さらには、復活されたイエスに弟子たちが会ったとき、「喜びのあまり信じられなかった」(24.41)とある。
 先ほどの箇所では、72人の弟子が喜んで帰って来たと。しかし、イエスは、「悪霊が服従するからといって、喜んではならない」。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(10.20)とある。そして、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた、「天地の主である父よ、これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」と。
 いずれも、喜ぶのは、「やった!」「できた!」、「勝った!」という時の喜びではなく、むしろ、自分の力が及ばないところ、無力を経験したところ、予想に反して、神から与えられ、いただいた、そうした時に、湧き上がる喜びである。
 福音は、まさに、そのような喜びの便り。はたして、わたしたちは、そのような喜びを感じているだろうか。感じていないとすれば、何が原因だろうか。自分の力に過信していないだろうか。フランシスコ教皇が最初に発表された文書が『福音の喜び』だったことをあらためて、思い起こそう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. やった!できた!かった!
    は早めに
    できれば思春期のうちに卒業しておくこと。
    さもないとロシアのプッチンプリン、北朝鮮の金太郎飴、長ーいだけが取り柄の旧日本国のシイタケ?Cだけ?!それはぼくの通信簿。になってしまう?!
    何だかぼく失礼なこと言ってるかな??
    毎度ごめんなさい🙏失礼千万が服着て歩いてると各国女子会長に言われ続けて数十年、、。三つ子の魂百までも、雀百まで踊りを忘れず。とにかく朝メシにします!?
    喰う寝る遊ぶは人生の基本。
    できれば具が大きい方がいいかも。
    すみません。韓国の神父さま。

    • 統一協会顧問弁護士が法務省民事局で成年後見人制度設計に関与していたとさっき知ってビックリ!ヤッパリ!
      教師をやってる弟やその教え子の精神科医や市役所の保健師の虚偽文書によって欠席裁判で家庭裁判所が母に付けた成年後見人弁護士に母が拉致監禁されて5ヶ月以上、未だ母の居所不明で当該弁護士は教えてくれず長期出張中。
      統一協会化・カルト化した日本の地域社会や専門家集団をどうすればいいのか?
      ああ!自分や母のことを考えると霊的に混乱する。旧日本国を葬り去った翌日の福音に立ち返ろう、ルカ9.57以下。

  2. どこまでも聖書内在的、教会内在的である分かち合いが有り難い。だからこそ我々信徒は安心して遠くまで出かけて行ける。司祭がいなければ元司祭もありえない。以前求道していたプロテスタント教会で主任牧師が、カトリックがなければプロテスタントもない、と説教し、直後仲間三人で喫茶店で激論したことを思い出す。
    今日の分かち合いでは、まず福音、「今日ダビデの町で」と。昨日は町の名だったが今日は人間の名だ。ダビデと言えば詩編51。これについては2010年11月告解室で師と議論、翌12月はベネディクト会士と。いずれも議論激論理屈の中味は放念。だだその人間人格を想起する。
    今日の分かち合いはまさにルカ福音15章ヘ進む。そして、普遍人格との再会を喜ぶ(24章)。
    そして今日の福音。今日の聖人。「最も恐るべき責任を持たされていても、また、非常に長生きしても、私は今日と同じように小さいものとしてとどまるでしょう」『教育者テレーズ その教えの現実性』

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