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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十一土曜日(8/31)

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忠実な良い僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ。
集会祈願

🌸 第一朗読 (一コリント1:26-31)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 26兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。 27ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。 28また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。 29それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。 30神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。 31「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

🌸 答唱詩編 詩編33 典46 ③⑤

アレルヤ唱 典

268 15

🌸 福音朗読 (マタイ25:14-30)

マタイによる福音

 14〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。 15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、 16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。 17同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 18しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。 19さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。 20まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 22次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』 23主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 24ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』 26主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。 27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。 28さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。 29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 マタイが記す、受難前のイエスの説教の最後に置かれた一連のたとえの一つ、タラントンのたとえが読まれた。
 ルカで使われる「ムナ」という単位は、同じギリシャの通貨単位だが、ムナはタラントンの60分の1。1タラントンと言えば、人が20年働いて稼ぐほどの額。現在の円に換算すれば、軽く1億を超える数字。
 たとえ話には、大げさな話や誇張した表現が多く、これもそうした点を考慮すべきだが、なぜ、あえて、そのような莫大な額を持ち出す必要があったのか。それは、「タラントン」は人間が神からいただいている賜物の大きさを表しているからではないか。人間が人生の中で、誕生に始まり、健康、成長、家族、教育、友人、仕事、業績、新しく作る家庭、それら一つ一つを考えれば、どれほど多く受けているか驚くべきこと。
 しかも、神は、その賜物を与えるだけでなく、それを使って生きるための自由をも与えている。一人一人が自分で選び、決定し、実行し、さらにその実りを享受する、その大きな責任を人間に与えたことを考えると、人間は「僕」ではなく、まさに「主人」であると錯覚するほど、大きなものを人間に委ねられた。神はそれほどまでに、人間に期待し、人間を信頼し、すべてを委ねている。たとえ話の結びに出る「裁き」に対する恐れのあまり、恵みを無駄にする愚かさよりも、この神の寛大さ、気前のよさ、心のひろさに思いを向けるべきではないか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 昨日久しぶりにカツ丼(ソースカツ丼)を食べた。というか肉を喰ったの久しぶり!
    本当にうまかった。
    今、本当に、と書いて昔はよく「本当にお願い🙏」って言われたなあ、って思い出した。ほとんどニヤニヤしながら言われるので吹き出してしまう。愉快な策略家である。
    今、本当に、って言われなくなったし世間的一般人も言わなくなった気がする。

    給料の前借りは手数料がかかるし、最後の万札を使う気になれず逡巡していたら給付金が入った。

    昨日福音で自分が今燃えてるだけでなく小さなともし火を燃やし続けるために、油も準備しようと主は言われた。お金を準備せよとは言わず。とはいえお金がなければ油も買えないが。でもお金でともし火を燃やし続けることはできない。
    すみません。まだ未明でこのsiteの冒頭の大きな字の一行しか見てません。
    またお金の話かって思ったが、この一行,いい感じ。
    何だか俺も現金な男になってしまったかなあ。

    このsiteのよさは演習書のようなところかな。今日一日この一行で生きて、疲れて爆睡したあと模範解答を見る。
    forgive is devineでもあるけどit feels devine.

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