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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十四土曜日(7/13)

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恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
集会祈願

全能永遠の、神である父よ、私たちの行いが、いつもみ旨にかなうよう導いてください。御子キリストのうちにあって、豊かな実りを結ぶことができますように。聖霊による一致のうちに、あなたと共に神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (イザヤ6:1-8)

イザヤの預言

ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。 2上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。 3彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
主の栄光は、地をすべて覆う。」
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。 5わたしは言った。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。
わたしは汚れた唇の者。
汚れた唇の民の中に住む者。
しかも、わたしの目は
王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。 7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
「見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
8そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」

🌸 答唱詩編 詩編93 典39①③

答:神の慈しみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。

神は王。栄光に満ち、
偉大な力を身に帯びておられる。
神は世界をゆるぎなく建て、
とこしえに王座をすえ、
永遠に座しておられる。 【答】

神よ、あなたの言葉は変わることなく、
あなたの家はとこしえに尊い。
栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。アーメン。 【答】

アレルヤ唱 典270(61)

アレルヤ・アレルヤ。キリストの名のためにののしられる人は幸い。神の霊があなた方の上にとどまってくださる。アレルヤ・アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ10:24-33)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 25弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
 26「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。 28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 32「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

奉納祈願

命の源である父よ、御子の奉献を記念する供え物を受け入れてください。感謝を込めて行うこの秘跡によって、私たちの内に救いのわざが全うされますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

信じる者の力である神よ、天の糧に養われて祈ります。あなたを愛し、人々に仕える熱意を、私たちの中に燃え立たせてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 派遣される使徒たちが出会う厳しい状況の中で、イエスは「恐れてはならない」と言われる。預言者の言葉の中にも、たびたび「恐れるな」という言葉が出るが、人間は、自分を脅かすもの、自然の圧倒的な力に対して、人間の暴力に対して、地位や安全を脅かす動きに対して、本能的な恐れを抱いている。
 こうした人間皆に共通する恐れに加えて、イエスに従う者には、また違った恐れがある。イエスが山上の説教の中で勧める新しい生き方に対して、あるいは、イグナチオが『霊操』の中で掲げる貧しさ、人々から受ける侮辱、ついで、謙遜等、要するに、小さくされることに対して、人間は自然に恐れを抱く。人間は、ものを多く持ち、人から賞賛を受けることによって、その人になり、自分が何者であるかを主張できるからである。しかし、イエスは言う、そのようなものを失うことを「恐れてはならない」と。その時にこそ、神があなたを生かし、力づけ、救うからであると。
 そして、イエスは言う、「人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表すものは、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す」と。イエスの教えに従って恐れなく生きること、それは、イエスの仲間となることであり、人々がそれをどのように受け止めようとも、天の父の前で、イエスの仲間と認められることなのだと。使徒の頭であるペトロは、肝心な時に、その試しに失敗した。しかし、主イエスは彼を見捨てることなく、むしろ、彼に、新たな力を与え、いのちを懸けて、主を証しする機会をお与えになった。その神のいつくしみに信頼して生きる恵みを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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