6月3日 記念日
聖カロロ・ルアンガと同志・殉教者(記念)(十九世紀)
キリストの真の教会であることの二つのしるしは、カトリック、すなわち全世界のものであるということと、もう一つは、キリストと同様迫害されるということです。今日記念する聖人たちは、このことをみごとにあらわしています。
彼らは世界で最初の黒人殉教者となりました。十九世紀の終わり、一八七九年、すなわち明治十一年、中央アフリカのウガンダに、初めてカトリックの信仰が伝えられました。その時の王は宣教師に対していくらか友好的で、七年の間は自由に布教することができたのですが、その後継者となった王は反対者で、カトリックを根こそぎにしようとしました。特に一人の信者が王の同性愛をとがめたことにより、カトリックに対して激しく迫害を加えました。その第一歩が、その信者に偽りの罪をきせ、首をはねたことでした。王は、このことで信者たちは教えを捨てるものと思っていましたが、かえって逆に団結し、信仰を強めたのです。
それから六か月後、一人の小姓がキリスト教を教えているということを聞き知った王は、自分のもとに呼び、即座に槍で刺し殺しました。その夜のうちにすべての小姓が逮捕され、翌朝キリスト教徒であるものは名のらされました。小姓頭のカロロ・ルアンガをはじめ十五人が、自らすすんで王の面前に出ました。王は彼らに脅しをかけ、「キリスト教信者としていつまでも続けるか」と尋ねると、彼らは「死ぬまで」と答えたので、王は「それなら死ね」と言って、五〇キロ先の処刑場まで歩かせました。一同の励ましとなったのは、二一歳の小姓頭力ロロ・ルアンガと、最年少で十三歳のギジトでした。彼らがその処刑場まで笑ったり話したりしながら歩いて行くのを、人びとは見ました。若いギジトは「手をつなごう」と声をかけて、励まし合うための提案をしました。このグループの中に、まだ受洗していない求道者が二人いました。一人はカロロ・ルアンガによって受洗しましたが、もう一人は受洗しないまま殉教し、血の洗礼となりました。刑場に着いた彼らは、ムシロに包まれ、生きながら火葬されることになりました。彼らの中に死刑執行人の子がいました。父は何度か棄教を勧めましたが聞き入れなかったので、生きながら火葬にするにしのびず、殺して他のものとともにムシロに包みました。彼らは煙の中で祈り、聖歌を歌い、イエズスのみ名を口にしながら殉教しました。彼らとともに大人も、また聖公会の信者も火あぶりになりました。その後、他のグループも同じように殉教の栄冠を受けています。
この殉教は一八八五年十一月十五日から一八八七年一月二十七日のわずか一年と二か月の間の出来事でしたが、初代教会の殉教者と同じような殉教をとげていることに驚かされます。あるものは体を細切れにされたり、動物に引き裂かれたり、首をはねられたり、火あぶりにされたりと、それはそれは残酷なものでした。しかしこの大殉教の後、ウガンダの国は多くのカトリックの信者を生み、教会は発展したのです。確かに、殉教者の血は、キリスト教信者の種子であるということがいえます。アフリカの教会のために祈りましょう。
C.バリョヌェボ著『ミサの前に読む聖人伝』サンパウロ、2010年。