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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第三木曜日(1/28)

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聞く耳のある者は聞きなさい

マルコ4:23

聖トマス・アクィナス司祭教会博士

集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ10.19-25)

 19兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。 20イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。 21更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、 22心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。 23約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。 24互いに愛と善行に励むように心がけ、 25ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。

🌸 答唱詩編 詩編24 典158 ①②

アレルヤ唱 典270 29A

🌸 福音朗読 (マルコ4.21-25)

 21〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。 22隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 23聞く耳のある者は聞きなさい。」
24また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。 25持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「種蒔く人のたとえ」の中に、突然、ともし火の話が入り、多少戸惑いを感じる。しかし、マルコは、種の説明にもあったように、み言葉との関連を大事にしている。ここでは、ともし火を、あえてみ言葉と結びつけている。アレルヤ唱でも歌われた詩編には、「あなたの言葉はわたしの足のともし火、わたしの道の光」(詩119.105)とあった。
 神様から聞いた言葉、イエスが語る言葉は、人を導く光であり、人を生かし、力づけ、希望を与える。しかし、わたしたちの生きている社会の中で語られる言葉は、どれほど、人を迷わせ、傷つけ、失望させ、殺すものだろうか。毎日、そのような言葉を聞かされていると、言葉に対して不感症になり、信頼を失い、耳を閉ざしてしまう。しかし、イエスは言われる、「聞く耳のある者は聞きなさい」と。また、「何を聞いているかに注意しなさい」と。どんな言葉に耳を傾け、それに心を開いているだろうか。人を生かし、力づけ、希望を与える神の言葉に、はたして、心を開いているだろうか。
 そして、イエスは言われる、「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか」と。神の言葉はこの世を照らす真の光。それは、自分のためだけでなく、人々のため、皆を照らすための光。その光を分かち合うために、はるばるやって来られた宣教師たちの働きによって、多くの人は光を受けた。そうした方々の苦労に満ちた働きに感謝するとともに、わたしたちも光を分かち合う人となることができるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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