聖トマス西と十五殉教者
集会祈願
聖なる父よ、あなたは聖トマス西と十五人の同志を聖霊によって強め、キリストのあかしとして苛酷な迫害に耐え、殉教する力をお与えになりました。聖人たちの殉教を記念するわたしたちに、信じるために必要な謙虚さと信じたことを宣言する勇気をお与えください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン
???? 第一朗読 (ヨブ1:6-22)
6ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。 7主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。8主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」9サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。 10あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。 11ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」12主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。13ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである。 14-15ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」16彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」17彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」18彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。 19すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」20ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。21「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」22このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
???? 答唱詩編 詩編17 典113①②
答 主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、
いつわりのない祈りに耳を傾けてください。
ただしいさばきをわたしに現し、
わけへだてのない目を注いでください。【答】
あなたは夜、わたしを訪れ、心をためされる。
あなたが火でためされても、逆らう思うはない。
わたしはあなたのあとを歩み、
あなたの道を離れない。【答】
アレルヤ唱 典270 59
アレルヤ、アレルヤ。人の子が来たのは仕えるため、多くのあがないとして自分のいのちを与えるため。アレルヤ、アレルヤ。
???? 福音朗読 (ルカ9:46-30)
ルカによる福音
46〔そのとき、〕弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。 47イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、 48言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
49そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」 50イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
奉納祈願
聖なる父よ、聖トマス西と十五人の殉教を記念してこの供えものをささげます。わたしたちが殉教者の模範に励まされ、この秘跡によって信仰をあかしする力をいただくことができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
恵み豊かな神よ、あなたは殉教者のうちに十字架の栄光を現してくださいました。主の過越の秘跡にあずかったわたしたちがいつも主に従い、すべての人の救いのために働くことができますように。わたしたちの主イエス・キリストよって。アーメン。
???? 分かち合い
聖トマス西と15殉教者 ルカ9.46~50 弟子たちの間で、「だれがいちばん偉いか」という議論が生じます。これは、どんな社会にも、団体にも、親しい仲間内でも起こる議論です。互いの間で順位を争ったり、序列をつけたり、あわよくば、一番になろうとすることは、人間生きる限り、必ず経験する問題、子どもの世界にも見られる大きなテーマです。
こうしたことがイエスの弟子の間にもあったことを、福音書記者はあえて否定しようとはしません。ルカは、今日の個所に加えて、イエスの受難の前の晩、最後の晩餐の席で弟子たちが席次争いをしたことを記録しています。
そうした議論に対して、イエスは、理屈ではなく、すぐにでもピンとくるはずの方法で答えられます。子どもをそばに立たせて言われます、「わたしのためにこの子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。・・・あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と。すぐに受け入れられる話ではありません。むしろ、反発を感じるのが普通かもしれません。イエスは、人々の間で、最も注目されない者、卑しめられる者、忌避される者、それこそが、最も高められ、賞賛を受けるにふさわしい者だと言われ、自らその範を示されたのです。
殉教者たちは、文字通り、その時代の中で、最も低いところまで下った人々です。十字架につけられて死を甘んじ受けられた主と同じ道、まったく無に等しいものとされることを通して、神によって、最も高く上げられるのです。