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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十八主日(A年)

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あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。

マタイ14:16
集会祈願

飢え渇く者を恵みで満たされる神よ、豊かな愛をたたえて祈ります。わたしたちがあなたのことばに聞き従い、まことのいのちに生きるものとなりますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (イザヤ55:1-3)

イザヤの預言

〔主は言われる。〕
1渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
2なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
3耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。

🌸 答唱詩編 詩編145 典18④⑦⑧

答:いのちのあるすべてのものに、主は食物を恵まれる。

あなたは恵みとあわれみに満ち、
怒るにおそく、慈しみ深い。
その恵みはすべてのものに及び、
いつくしみは
造られたすべてのもののうえにある。 【答】

神を待ち望むすべてのものに、
いのちのかてを豊かに恵まれる。
生きているすべてのものの願いを、
神は豊かに満たされる。 【答】

神の行われることはすべて正しく、
そのわざはいつくしもに満ちている。
助けを求めるすべての人と、
心から祈る人のそばに神はおられる。 【答】

🌸 第二朗読 (ローマ8:35、37-39)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 35〔皆さん〕だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
 37しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

アレルヤ唱 典272(18A)(マタイ4:4b)

アレルヤ、アレルヤ。ひとはパンだけではなく、神のことばによって生きている。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ14:13-21)

マタイによる福音

 13イエスは〔洗礼者ヨハネが死んだこと〕を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 15夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 16イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 18イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

奉納祈願

神よ、主が五千人の飢えを満たされたパンの神秘を、きょう、わたしたちにも味わわせてください。この秘跡を通してキリストにより深く結ばれますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いのちの与え主である神よ、まことの糧に満たされて祈ります。キリストのことばとからだを通していただいた豊かさを、すべての人と分かち合うことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 天の国のたとえの話の後に、有名なパンを増やされた出来事が記されている。あまり細かい説明が必要ないほど、よく知られた物語で、イエスの話を聞こうと押し寄せてくる群衆に、自らに与えられた力を振るってパンを増やして食べさせておやりになるという話。

 しかし、よく注意して読むと、今日の個所の初めに、「洗礼者ヨハネが死んだことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた」とある。

 ヨハネは、メシアの到来に向けて人々の心を備えるという使命を受けた預言者で、メシアかと疑われるほど注目された人物だが、本人はへりくだって、自分はその方の靴の紐さえほどく値打ちもない」と言ってのけた謙遜な男。そして、ある時、イエスは、ヨハネを高く評価し、彼が預言者以上のものだと言ったことも。それだけにヨハネの死、そして、あのような無残な死は、イエスにとって大きな痛手であったに違いない。

 そして、このパンの物語の後に記されるのが、これまた有名な湖の上で弟子たちが嵐にあった時の話。そんな話の間に、パンの話が置かれているのは何か理由があるのだろうか。

 イエスは押し寄せてくる群衆のことに心を配り、「大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた」とある。そして、イエスは弟子たちの群衆を思いやる心を受けて、彼らに必要な糧を与える決意をされるが、決して一人ではなく、弟子たちの協力を得て、それを行われる。「あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」。しかし、弟子たちのもてる力はあまりにも小さい。弟子たちは言う、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」。しかし、イエスはそれを何十倍にもして人々の必要に応えられる。

 その時、イエスがなさったことの意味を、弟子たちは、復活の後、初めて気づいたであろうが、イエスご自身は、十分に意識しておられたのではないか。「イエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いて賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」とマタイは記す。福音史家は、最後の晩餐の折に、イエスがなさったこと、そして、裂いて渡されたパンが、渡されるイエスの体であると宣言されたことを思い出していたのではないか。イエスは、ご自分がなさろうとしておられたことが、やがて、自らを十字架の上で父なる神に捧げ、そして、人々が神の命に生きるための糧となることを、予め、ご存じだったのではないか。

 ひるがえって、わたしたちの置かれた状況を考えてみると、わたしたちも、親しい仲間を見送った辛い経験を思いだすに違いない。日々報道される、思いがけない災害や病気で命を落とした人々のことで、わたしたちの心も痛む。さらに、わたしたちのまわりの小さな世界だけでなく、日本全体、そして全世界を覆っているコロナ禍のために、どれほどの人々が不安と落胆、そして、先の見えない現実の中で、恐れ、怯え、苦しみ悶えていることもわたしたちの心を重くする。それでも、苦しむ人々のため、自らの危険を顧みず救済に献身している医療従事者、そして、ボランティアの人々がいること、そして、そんな現実の中に、主は今日も、わたしたちに、希望の灯をもたらしてくださっていることをわたしたちは知っている。

 「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。」「わたしに聞き従えば良いものを食べることができる。・・・耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ」、とイザヤは主の言葉を告げる。いつ終わるとも知れない状況の中で、否、そのような状況だからこそ、わたしたちを真の命で生かし、力づけ、希望を与える、主が準備された晩餐に与る恵みを感謝しながら、パウロがローマの信徒に伝えたように、一層、主への信頼と忠実をもって歩み、人々と喜びを分かちあってゆけるよう祈ろう。 (S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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