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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十七火曜日(偶数年)

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正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。

マタイ13:43
集会祈願

???? 第一朗読 (エレミヤ14:17b-22)

エレミヤの預言

「わたしの目は夜も昼も涙を流し
とどまることがない。
娘なるわが民は破滅し
その傷はあまりにも重い。
18野に出て見れば、見よ、剣に刺された者。
町に入って見れば、見よ、飢えに苦しむ者。
預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」

19あなたはユダを退けられたのか。
シオンをいとわれるのか。
なぜ、我々を打ち、いやしてはくださらないのか。
平和を望んでも、幸いはなく
いやしのときを望んでも、見よ、恐怖のみ。
20主よ、我々は自分たちの背きと
先祖の罪を知っています。
あなたに対して、我々は過ちを犯しました。
21我々を見捨てないでください。
あなたの栄光の座を軽んじないでください。
御名にふさわしく、我々と結んだ契約を心に留め
それを破らないでください。
22国々の空しい神々の中に
雨を降らしうるものがあるでしょうか。
天が雨を与えるでしょうか。
我々の神、主よ。
それをなしうるのはあなただけではありませんか。
我々はあなたを待ち望みます。
あなたこそ、すべてを成し遂げる方です。

???? 答唱詩編 詩編130 典117①④

アレルヤ唱 典

???? 福音朗読 (マタイ13:36-43)

マタイによる福音

〔その時、〕イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、 42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 今日の福音では、主イエスは「畑の毒麦のたとえ」を説明してくださいます。このご説明の中にある「世の終わり」という言葉は二度も繰り返して書かれています。終わりの日まで、良い麦と悪い麦両方とも、良い種を蒔く者、すなわち人の子・主イエス・キリストは彼らの世話をするためにご自分のいのちを絶えず捧げてくださいます。神は悪い麦をもずっと見守って、彼らがいつか変わるように、また良い実を結ぶことができますように、常に望んでおられます。

 さて、ここでは、毒麦のたとえ話だと言われていますが、この福音の個所は毒麦という悪い者を中心とするではなく、むしろ神の愛と忍耐力強い心のほうを強調するではないかと思います。やはり、社会の中に、教会の中に、我々の間には良い者と悪い者両方ともあります。主イエスがこの世に来たのは良い者ばかりを救うだけでなく、悪いものをも救おうとするのです。同じように神は悪い者にも良い者にも雨を降らせているという愛広くていつくしみ深い方です。

 毒麦という悪い者たちをそのまま置いておく理由は、彼らがいつか悔い改めるようになるということを神は待っているのでしょう。神は悪い者、罪びとの回心を望んでおられます。私たちの回心を待ってくださいます。主イエスが最初に宣教に行かれた時、人々に悔い改めを呼び掛けていました。神の国が近づいて、悔い改めて福音を信じなさいという神のお招きです。神の国に入るために、悔い改める必要があるということです。

 毒麦の周りに良い麦があります。良い麦の隣に毒麦があります。毒麦という悪い者が回心するまで、良い麦というよい者は神の恵みによって神の愛、神の深い慈しみを見せなければなりません。一方、悪い者はそのよいわざを見たら、回心しなければなりません。これはダイナミック的に生きている私たちの生活です。

 従って、お互いに協力して助け合って信仰生活を深めていくのです。そして神の力に信頼と希望を置くならば、「神の国」が近づいてくること、それが日々信仰生活の中で実現していくこと、また成長していくことを、感じることができるでしょう。それで、人生が変わっていくことができる、また主イエスの弟子への道を歩むことができるのです。

 どうか神の愛と慈しみ、主イエスの救いの業を感謝しながら日々生活の中で、少しずつ回心していくことができますように、すなわち神の国を少しずつ気づいて、そこに入ることができますように神の導きをお願い求めましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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