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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第十七主日(A年)

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訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた

列王記上3:11
集会祈願

愛である神よ、あなたはいつも私たちに、神の国のすばらしさを示してくださいます。ここに集う私たちが、キリストの言葉のうちに喜びと光を見つけることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (列王記上3:5、7-12)

 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。 〔ソロモンは答えた。〕 7わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。 8僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。 9どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
 10主はソロモンのこの願いをお喜びになった。 11神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。 12見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。

🌸 答唱詩編 詩編119 典125①③④

答:神よ、あなたは永遠のいのちのことば。

神よ、あなたはわたしのすべて。
あなたの言葉を私は守る。
あなたの教えは素晴らしい。
全ての金銀にまさる。 【答】

金よりも純金よりも
あなたのすすめを私は愛する。
神よ、あなたの定めは素晴らしい。
心を尽くして私はそれを守る。 【答】

あなたの言葉は真理に基づく。
正しい裁きはとこしえに変わることがない。
素晴らしい宝を見つけた人のように、
私はあなたの仰せを喜ぶ。 【答】

🌸 第二朗読 (ローマ8:28-30)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 〔皆さん、〕神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 29神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 30神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

アレルヤ唱 典269(17A)マタイ11:25参照)

アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現わしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ13:44-52)

マタイによる福音

 〔その時、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
 45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
 47また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、 50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
 51「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。 52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

奉納祈願

聖なる父よ、あなたはわたしたちを天の国の宴に招いてくださいました。この招きにいつも相応しく答えることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

神よ、日々の生活の中で、誠の宝を見極める知恵をお与えください。私たちが、あなたの言葉にためらうことなく従うものとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 例年ですと、子供たちは夏休みに入って、大いに楽しんでいるときですが、今年は、コロナの影響ですべてが異常な状況が続いています。おとといの24日は、本来東京オリンピックの開会式が行われる日でしたが、1年延期となり、来年の開催を危ぶむ人も少なくありません。

 オリンピックに出場が期待されていた選手たちは、突然大きな目標が取り去られ、予想しない状況への対応に苦慮していた様子を、先日のテレビ番組は紹介していました。ある選手は、いまだに気持ちの整理がつかない様子、ほかの選手は、目標がある限り、頑張ることはできると言い、ある選手は、一つの大きな目標よりも、小さな目標をいくつも持つ方がよいのではと言っていました。大会に参加して、そこでよい成績を残すこと、あわよくば、メダルを獲得することは、選手たちにとって、何にもまさる宝だと言ってよいでしょう。しかし、それが叶わなくなった今、選手たちはそれぞれ違った目標を見つけようと必死になっています。はたしてわたしたちは、どんな人生の目標を描いてきたでしょうか。

 今日の福音では、「天の国のたとえ」として、二つのことがあげられました。一つは、畑に埋まっていた宝の話、もう一つは高価な真珠を見つけた真珠商人の話です。埋まっていた宝を見つけた人は、喜びのあまり、「持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」とあります。昔は、大事な宝石類を壺に入れ、安全な地中に埋めて保存する習慣があって、たまたま持ち主が亡くなったか、忘れてしまったかして、運のよい農夫が見つけたのでしょうか。その宝を自分のものにするために、畑ごとまるまる買ってしまうという話です。高価な真珠を見つけた人も、同じように、「出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」のです。真珠商人がほうぼうの市場を歩き回って、特別な輝きを見せる貴重な真珠を見つけ出すことは、賭けに等しいものだったのでしょう。

 隠された宝にせよ、見つけた高価な真珠にせよ、それは見つけた人にとって、どれだけ財産を売り払っても、決して惜しくはない、貴重な宝だったのです。果たして、わたしたちは、そのような高価な宝に出会ったことがあるでしょうか。どのような動機、偶然にせよ、主イエスという類いまれなお方に出会い、洗礼を受け、聖体をいただき、ゆるしの秘跡にあずかり、堅信の恵みをいただいたものは、例外なく、隠された宝、高価な真珠――神の国――を見つけた人なのです。ただ、まだ、その宝のすばらしさに十分目覚めていないかもしれません。まだ、どこかに立派な真珠があると思い、埋もれた宝が隠されていると信じ、実現することのない夢を追い続けているかもしれません。もう一度、目を開けましょう。そして、すでにいただいている宝の大きさ、すばらしさに気づかせていただくよう祈りましょう。

 成年になってから復活された主と出会い、人生を180°転換した聖パウロは、晩年、フィリピの教会の人々にあててこう言います、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では、他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストのうちにいる者と認められるためです」(フィリピ3.8,9)と。パウロにとって、キリストはまさに宝そのものだったのです。

 あのイスラエル王国を繁栄の絶頂に導いたソロモン王は、若き日に神に祈り、「民を正しく裁き、善と悪を判断する、聞き分ける心」を願い、それを与えられました。長寿でもなく、富でもなく、敵の命(勝利)でもなく、「訴えを正しく聞き分ける知恵」を求めたので、主は「知恵に満ちた賢明な心を与える」と約束されました。ソロモンは事実、賢明な裁きを行い、彼の治世は、前王ダビデにまさる繁栄と栄光に満たされました。しかし、主の命令に背き、異国からめとった妃たちを宮廷に招き入れ、主ではなく、彼女たちが信じる多くの異教の神々に礼拝する罪を犯し、王国が彼の息子の代に分裂するという、最大の試練を迎えることになります。

 最高の宝である、主を知る恵みをいただいたわたしたちも、生涯、主を一層深く知り、愛する努力を続けなければ、他の様々な宝に心奪われ、真の宝である主を忘れ、主の望みに逆らった生き方をしないとも限りません。今日、あらためて真の宝である主の晩餐に与る恵みをいただいたわたしたちが、主への信仰・希望・愛を一層深めていただき、そこから来る真の喜びを、多くの人と分かち合うことができるよう祈りながら、ミサを続けましょう。

🌸 他の分かち合い

 今日のみ言葉の典礼は、マタイ13章1節から始まった天の国について、七つのたとえ話集の結びの部分で、ここに3つのたとえ話があります。これら3つのたとえ話はマタイ福音書だけが伝えるものです。主イエスによる天の国のたとえ話を通して、一つの結論ができるのは、人間が神を求めるよりも、神のほうがどんな人でも、その私たちを探し求めているという神の深い慈しみを悟ることができるように招かれているのだと考えられています。その悟りを得るならば、私たちは主イエスの弟子になるのです。そうすると、主イエスのように神の深い慈しみを宣べ伝え、神の国を広げることができます。このようなことを黙想しながら、このミサを始めたいと思います。

 皆さんは宝というと何を思い浮かべられるでしょうか。宝石箱を思い浮かべられる方もおられるかもしれません。神にとっての宝は私たちです。「宝」という漢字の意味を調べてみたら、「比喩的には、かけがえのない人」となっています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43章4節)。神は私たちを宝であると思ってくださっています。

 本当にそれが宝であると思っているなら、宝を得るためにはどんな犠牲をも惜しみなく捧げます。今日の箇所でも「持ち物を全部売り払って」という犠牲が書かれています。神が私たちのために払ってくださった犠牲は、主イエス・キリストの十字架であります。キリストは、天より降り、尊い犠牲を払ってくださいました。キリストは鞭打たれ、殴打、痛ましい傷、呪いのことば、茨の冠という恥辱と痛みを偲び、唾せられ、葦で叩かれ、十字架を負わされ、釘打たれ、その苦しみに耐えに耐えました。肉体は悲鳴を上げ、血を流し、そのたましいは裁きで押しつぶされました。キリストが成し遂げられたことは、私たちを救い出すために贖いの代価を払われたということです。その贖いの代価とは、ご自分のいのちです。「持ち物を全部売り払って」以上の姿であります。ご自分のいのちを差し出したわけだからです。

 つまり、神は私たちを宝のようにみなし、尊きひとり子を犠牲にし、救い出してくださいます。それでは、私たちは何を、誰を宝にしたらよいでしょうか?

 それからまた、毒麦のたとえのように、マタイ的な解釈の部分を取り去りますと、本来は「天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚(良いものも悪いものも)を集める」というだけのたとえだったのかもしれません。そうだとすれば神がどんな人をも招いている、というところにたとえのポイントがあることになります。

 「自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人」はもちろん、主イエスご自身のことでしょう(マタイ10:25参照)。古いものとは旧約時代に神が示されたこと、新しいものとは主イエスによってもたらされた天の国の福音と考えることができます。私たちはこの主イエスに「似ている」というのです。

 すなわち、主イエスが伝えてくださった神の支配、神の深い慈しみを理解することができるならば、私たちは主イエスの弟子になります。そうすると、主イエスが私たちのためにご自分のいのちを捧げましたように、私たちも兄弟姉妹のために自分のいのちを捧げるよう招かれています。どうかこの招きを喜びながら受けていくことができますようにこのミサを続けてまいりましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. いつもimoruhana.com利用させて頂き感謝しています。
    質問ですが、主日の典礼の「集会祈願・奉納祈願・拝領祈願」は、どこから取っているのでしょうか。

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