年間第九月曜日(6/3)
聖カロロ・ルワンガと同志殉教者 (記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (二ペトロ1・2-7)
ペトロの手紙
2神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
3主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。 4この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。 5だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、 6知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、 7信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
🌸 答唱詩編 詩編 典
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マルコ12・1-12)
マルコによる福音
1イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 2収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。 3だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。 4そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。 5更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。 6まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。 7農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 8そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。 9さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。 10聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった。
11これは、主がなさったことで、
わたしたちの目には不思議に見える。』」
12彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスの生涯の終わりが近づく時期に、神殿で語られた、祭司長、律法学者、長老たちに向けてのたとえ話。そこには、彼らの心の底を抉るような、厳しい問いかけが含まれている。
聖書は人間の歴史と深くかかわる書物だが、単なる歴史的記録ではない。歴史を超えた神が、人間の歴史にかかわって来られた、その記録と言ってよいかもしれない。そこには、他の宗教書には見られない、神自らの意志、人間に対する愛に満ちた救いの計画(救済史)の実現が跡付けられる。
聖書は、神が、創造のわざによって自らの善さと知恵を顕わにするが、歴史の中で、具体的な人間を通して、自らの意志を明示されたことを教える。今日のたとえを通して、イエスは神の人間に対する期待と、人間の忘恩について語り、人々を回心に導こうとする。ぶどう園の主人から、その管理を任された農夫は、イスラエルの指導者たち。収穫を主人に報告し、それを奉納するどころか、送られた僕たちを次々になぶりものにするとは、本来の責任を放棄し、自己の利益にのみ関心を示す、悪名高き王たちや、預言者たちから厳しい言葉を浴びせられた宗教指導者たちを指す。最後に送られた主人の息子とは、神自らが満を持して送られた、愛する子イエスのこと。「ぶどう園の外にほうり出して」とは、イエス自身がエルサレムの門外で、十字架に架けられて亡くなることを暗示する。
昨日祝った「三位一体の主日」は、まさに、そのような、人間を自らのいのちに招き入れようとする、愛に満ちた神を称え、賛美する日であったことを思い起こそう。(S.T.)