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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第八月曜日(偶数年)

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年間第八月曜日(5/27)

人間にできることではないが、神にはできる

マルコ10:27
集会祈願

🌸 第一朗読 (一ペトロ1.3-9)

 3わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、 4また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。 5あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 6それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、 7あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 8あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。 9それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

🌸 答唱詩編 詩編111 典61 ①④

アレルヤ唱 典273 26C

🌸 福音朗読 (マルコ10.17-27)

マルコによる福音 

 17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
 23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日はある金持ちの話をしよう。つまり、自分は金持ちだと信じていた、あるいは物質的な豊かさが自分の幸せだと信じていた男の話だ。彼は善意の人で、イエスに尋ねた:

 「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」

 「あなたは戒めを知っている」とイエスは言われ、それから、他者との関係に関わる戒めだけを列挙し、神に直接関係する戒めは省かれた:殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、詐取してはならない、父母を敬え。すると男はこう答えた:

 「先生、私は若い時からこれらすべてを守ってきました。」

 両親を敬い、罪深いことを一つもしなかったという点で、彼は実に良い人でした。

 イエスはその人を本当の愛で見つめられた。 これは愛情や魅力の愛ではない。 アガペーの愛であり、相手のために最善のことを望む愛である。 この男は善良であったが、イエスは彼がさらに善良であることを望まれた。 そこでイエスは彼に言われた:

 「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

 それを聞いて、その男の顔は曇った。彼はとても金持ちだったので、悲しみに満ちてゆっくりと歩いて行った。 イエスは、彼があきらめることのできないもの……自分が神から特別に祝福されていることを示すと男が信じていたもの……を求めたのだ。 その男は、このことを予期していなかった。

 彼が去った後、イエスは弟子たちを見て言われた:

 「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」

 今度は弟子たちが心配し、ショックを受ける番だった。当時の彼らの社会の伝統は、富は神の祝福の明らかなしるしであり、貧しさは神からの呪いであると考えていた。

 イエスは彼らの誤解を解いた:

 「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

 つまり、まったく不可能なのだ。 これは彼らにとって、あまりにも大きなことだった。弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。

 現世でうまくいった人たちが救われないとしたら、敗者にどんな望みがあるというのか。 彼らがイエスの言葉の真理を学ぶには時間がかかるだろう。 そしてそれは、私たちクリスチャンの多くがまだ学ばなければならない教訓でもある。

 金持ちが神の国に入るのはなぜそんなに難しいのか? 金持ちであることに何か問題があるのだろうか? その答えは、私たちが「金持ち」と「神の国」にどのような意味を与えるかによる。

 ヨーロッパやアメリカでは経済的に低いレベルの人でも、アフリカやアジアのある国に住んでいれば、同じ資源で非常に裕福になれるかもしれない。 同様に、人里離れた村の「豊かな」農民は、ヨーロッパで生活保護を受けている家族に比べれば原始的な生活をしているかもしれない。

 イエスが “金持ち “という言葉を使うとき、それは周りの人たちよりも多く、たくさん持っている人を意味する。 そのような状況下で、人が自分の物質的な財にしがみつき、比較的贅沢な生活水準を享受する一方で、周囲の人々が食べ物や住居に事欠くというのは、イエスと御国が掲げるすべてに反することである。

 そして、ここで言う「神の国」とは、「天国」での将来の生活を指しているのではないことを強調する必要がある。 イエスは金持ちが天国に行けないと言っているのではない。 その金持ちが今どのように生きているかに関心があるのだ。 神の国とは、真理と誠実さ、愛と憐れみと正義と財貨の分かち合いが支配的で、人々が互いを大切にするような状況、人間関係のことである。

 物語の中の男は、戒めを守っていると言った。 ひとつを除いて、すべてが否定的に表現されていることに気づくべきだ。その男は、何もしなくてもいくつかの戒めを守ることができた! イエスは彼に、非常に積極的なこと、つまり、困っている兄弟姉妹に自分の繁栄を分け与えることを求めていたのだが、彼にはその準備ができていなかった。 そのため、彼は御国に行く準備ができていなかった。 彼はイエスの弟子にはなれなかった。 また、同じような境遇にある人たちも同様である。

 また、この教えは個人だけでなく、共同体、さらには国家にも当てはまることを付け加えておこう。 今日の世界には、非常に高いレベルの繁栄を謳歌し、あらゆる種類の消費贅沢品が手に入る国がある一方で、貧困、飢餓、病気にまみれて生活している人々が非常に多く存在する。 これは現代の大きなスキャンダルのひとつである。 これは王国の状況ではなく、その多くは心ない神や自然現象によるものではなく、ただ余剰の富を分かち合おうとしない人間によって引き起こされている。 よく言われるように、本当に裕福なのは、必要なものが最も少ない人たちなのだ。

 最後の考察である。 私たちの社会では、私たち個人はどう考えても金持ちとは呼べないので、この話は自分には当てはまらないと感じるかもしれない。しかし、お金以外のものに縋ることはできる。今日、自分の人生の中で、神に求められたら手放すのが難しいと思うものがあるかどうか、自問してみるのも有益かもしれない。それは人間関係かもしれないし、仕事や地位かもしれないし、健康かもしれない。

 イエスの弟子になるということは、無条件で、何のしがらみもなく、何から何まで手放す覚悟でイエスに従うよう、イエスが私に求めておられるということなのだ(実際にはイエスは私にそうするよう求めないかもしれないが)。 大切なのはその覚悟である。 この物語の男は、それすら持っていないように見えた。カトリック教徒は大富豪になるべきか? あなたはどう思いますか? イエスならどう答えると思いますか?

LivingSpaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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