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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第二十五月曜日(9/23)

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どう聞くべきかに注意しなさい

聖ピオ – ピエトレルチーナ- 司祭(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (箴言3:27-34)

箴言
27〔わが子よ〕
施すべき相手に善行を拒むな
あなたの手にその力があるなら。
28出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな
あなたが今持っているなら。
29友に対して悪意を耕すな
彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。
30理由もなく他人と争うな
あなたに悪事をはたらいていないなら。
31不法を行う者をうらやむな、その道を選ぶな。
32主は曲がった者をいとい
まっすぐな人と交わってくださる。
33主に逆らう者の家には主の呪いが
主に従う人の住みかには祝福がある。
34主は不遜な者を嘲り
へりくだる人に恵みを賜る。

🌸 答唱詩編 詩編15 典101 ①②

アレルヤ唱 典270 29A

🌸 福音朗読 (ルカ8:16-18)

ルカによる福音

 16〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 17隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。 18だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日のメッセージは十分に明確です。福音のメッセージは隠しておくべきものではありません。福音が門外不出の秘教であるような「神秘宗教」ではありません。それは、屋上から宣言されるべきメッセージです。私たちが信じ、語るものが真実であれば、それは広まるでしょう。
 私たちは、イエスが世の光であると理解しており、イエスの弟子たちもまた、全世界が目にするように輝くランプのような存在であるべきだと考えています。目に見えないキリスト者は言葉の矛盾ですが、私たちは自分たちの宗教を自分たちだけで保ち、他人に押し付けない傾向が強いです。
 しかし、たとえそれが可能であったとしても、他人に信仰を強制することは、伝えられているメッセージではありません。「来なさい。そうすれば分かる」と人々を招き、メッセージを聞き、それを個人的に体験してもらうことは、また別のことです。 また、福音のメッセージは、本当に従うのであれば、個人や社会全体に大きな幸福をもたらす生き方を提示していると私たちは信じています。 ですから、私たちのメッセージを伝える手段の一部は、私たちのライフスタイル(「見てください。効果があります!」)を通して伝えることなのです。
 イエスは今日、こう言っています。「だから、どう聞くべきかに注意しなさい。」
 ただ聞くだけではなく、理解し、受け入れ、吸収し、実践する「聞く」ことです。聞いたこと、吸収したことは、伝えていかなくてはなりません。さもなければ、それは死んでしまいます。なぜなら、
 「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。
 キリスト者であるということは、あるレベルに達してそこに留まることではありません。本質的には、絶え間ない成長と発展を意味します。つまり、立ち止まることや停滞することは後退を意味します。

LivingSpaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 概念言葉とこと言葉につき若干の修正。
    自由!正義!真実といった一見概念言葉と思われるものに対してそれがどれほど素晴らしいか感情で知っていることは近代人の条件、みたいなことを丸山真男が言っていると羽仁五郎がどこかで書いてたが、中世のトマス・アクィナスも言ってた気がする。

    ソクラテスだったらそこに民主政を加えるかも。

    僕にはよくわかりませんが。

  2. ST師はお元気だろうか。きっと御自分のstationにstandされているだろう。
    台風が来ている。
    統一協会事変の最中、陛下夫妻は渡英中。わたくしに人類普遍の原理の「洗礼」を1984年5月・大隈講堂で授けてくれた樋口陽一先生が言う通り、ここで天皇に頼っては人間放棄と言うべきだ。ところが我等日本国、国権の最高機関のみならず最大の労働組合ですら葬式談義の真最中。
    とはいえここで敢えて死者と葬儀に関する真の福音・キリストの言葉を引用するまでもないだろう。
    さて、今日の福音。秘められたものは公、とある。その直後、だからどう聞くべきかに注意、とある。howだ。so what?
    そもそも我等は何を聞くべきか。書いてある通り、秘められたものだ。

    本日、今手元にないが毎日新聞「みんなの広場」冒頭に十四才の吃音の中学生が確か、声なき声を聞け!と言う趣旨のタイトルだったか、その文書の中で、吃音そのものを知れ!と言っている!
    流石、華の中学2年生!
    まだ見ぬ花のあなたの美の中心
    それは吃音?そうかもね。
    とはいえそれはこの瞬間。黙っていてもいいんだよ。きっといつか?いやもう既にあなたの沈黙、聴く人が来る。
    人生は長くもないが短くもない。夕暮れまでは時間がある。
    ぁ!そうだった!確か吃音三種類。沈黙だけじゃないんだな。繰り返し繰り返し繰り返し、と、長いのだった。漢字二文字だったかな。
    しかし正直、ここまで来ると吃音という概念よりも、あなたを知りたくなってくる。
    他方、あなたは、吃音そのものを知ってほしいと言っている。
    概念言葉と、こと言葉。
    そうか、あなたは自分の苦しみだけじゃなく同じ苦しみの中にある人々も知ってほしいのか。素晴らしい。そしておそらく吃音で、あってもなくてもいい世界にしたいのかな?、、、
    世界をいっとき変えるには概念が役立つが、根本から変えるには、あなたと私が変わることが必須な気がする。だから出会いって本当に大変なことなんだ。

    秘められたもの。多様性が言われる現代、それは様々な気もするが、わたくしは命の叫びを聞きたい。

    さてさて、民権の最高機関は、まずパウロが言う通り我々の体だ。つまり教会。
    霊において生きる体はメンタルが傷ついても傷つかない。我等教会を見ればわかる、心の目で。すなわち神の目で。
    神は人を分け隔てしない。たとえば中心に何かが欠けているとき周辺や辺境ひいては秘境に目をやればいいのかも。

    ST師,早く戻って来てくれないかなあ。
    何だか中学2年生の気分。

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