マリアは「わたしは主を見ました」と告げた。
集会祈願
わたしたちの父である神よ、マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。聖女の祈りと模範に支えられて、わたしたちも復活されたキリストをのべ伝え、その栄光を仰ぎ見ることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (雅歌3.1-4a)
〔おとめは歌う。〕
1夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても
求めても、見つかりません。
2起き出して町をめぐり
通りや広場をめぐって
恋い慕う人を求めよう。
求めても、あの人は見つかりません。
3わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
4彼らに別れるとすぐに
恋い慕う人が見つかりました。
または〔二コリント5.14-17)
使徒パウロのコリントの教会への手紙
〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。 15その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
16それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
🌸 答唱詩編 詩編63 典167 ①④
答 わが心、喜びに満ちあふれ、主を待ち望む。
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。
水のない荒れ果てた土地のように、
わたしの心はあなたをしたい、
からだはあなたをかわき求める。 【答】
床の中であなたを思い起こし、
夜どおし、あなたのことを思う。
あなたはわたしのたすけ。
あなたの翼のかげにわたしはかくれる。【答】
アレルヤ唱 典265 ⑪
アレルヤ、アレルヤ。主キリストは復活された。勝利の王、キリストよ、あふれるいつくしみをわたしたちに。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ヨハネ20.1-2、11-18)
ヨハネによる福音
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
11マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 12イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 13天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 14こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 15イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 16イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 17イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 18マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
奉納祈願
いつくしみ深い父よ、マグダラ聖マリアの愛の奉仕が、御子イエスに受け入れられたように、この祝日に捧げるわたしたちの供え物を、み旨にかなうものとして受け入れてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
命の源である神よ、救いの秘跡にあずかって祈ります。主キリストに絶えず従ってマグダラの聖マリアのひたむきな愛を、わたしたちの心に満たしてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。🌸 分かち合い
2016年6月3日付で発表された教皇庁典礼秘跡省「教令」(Prot. N. 257/16)によって、マグダラの聖マリアの記念日(7月22日)を、今後は祝日(festum)として祝うことになった。次のように述べられた。
「現代において教会は、女性の尊厳、新しい福音宣教、そして神のいつくしみの神秘の偉大さに関して、いっそう熱心に熟考するよう求められている。そのため、マグダラの聖マリアの模範が信者によりふさわしく供されることも有意義であると思われる。実際、この女性は、キリストを愛し、キリストから非常に愛された者として知られている。そして、大聖グレゴリオからは「神のいつくしみの証人」(testis divinae misericordiae)と呼ばれ、聖トマス・アクィナスからは「使徒の中の使徒」(apostolorum apostola)と呼ばれ、今では教会における女性の役務の模範としてキリスト信者に認められている。」
マグダラのマリアについて、様々な解釈がなされるが、実際にどのような人物だったのか、断定するのは難しい。確かなことは、イエスと親しく過ごし、十字架のもとにまで従った弟子であること、さらに、四福音書がそろって証言しているように、復活のイエスに最初に出会い、弟子たちに伝えた女性であるということ。
今日の福音は、ヨハネだけが記すイエスとマリアの出会いの場面。目立つことは、マリアが墓にあるはずのイエスの遺体について、だれかに「取り去られた」、あるいは、「運び出された」と繰り返す点。イエスが復活されたこと等、予想もしないし、信じることもできない。あくまで、古い世界に留まったままでいること。
そのマリアにイエスが声をかける、「マリア」。それは、ただ、名前が呼ばれただけでなく、全く、予想もしない次元の世界に自分が呼び出されたことを意味する。イエスは言う、「わたしにすがりつくのはよしなさい。わたしは、わたしの父、あなたがたの父、わたしの神、あなたがたの神のところへ上る」と。「すがりつく」、それは、マリアだけでなく、使徒たちも、トマスにも言えること。古い世界に縛りつけられ、そこから、一歩も先へ進めない。わたしたちも皆、そうした弱さをもっている。復活は、それほど、わたしたちの想像・常識を超える、未曽有の出来事。それを受け止めるには、主からの呼びかけを聞く必要がある。マリアはそれを受け止め、復活を信じた。はたして、わたしたちは、そうした呼びかけに応える心の開きをもっているだろうか。(S.T.)
マグダラのマリアの日が祝日になり、彼女が神のいつくしみの証人と呼ばれ、あのトマス・アクィナスに使徒の中の使徒と言われてるなんて我がことのようにうれしい😆。
マグダラのマリアのような大胆な女って結構いる気がする。
イエスさまは素晴らしい!
わたしにすがりつくのはやめなさい、と言った直後、
わたしの父であり、あなたがたの父、
わたしの神であり、あなたがたの神、
と言っている。
イエスさまとわたしたちは切っても切れない縁。すがりつく必要はない。
そういえば、うっかりしていた。どこかに悪口書いたハイソな人妻。忘れていたが、ぼくの腕、つかんだ直後「これが神さまの握手!自分で手を離したと思っても、つかまれている」と言った。
一本取られた!