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教皇の意向:子を失った親 (11月)

聖マルタ・聖マリア・聖ラザロ(7/29)

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「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」
集会祈願

🌸 第一朗読 (1ヨハネ4:7-16)

使徒ヨハネの手紙

 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 11愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 12いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

 13神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 14わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 15イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。 16わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。

🌸 答唱詩編 詩編34 典128①②

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ11:19-27)

ヨハネによる福音

 〔その時、〕マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。 20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。 21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

又はルカ10・38-42

ルカによる福音

 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 39彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 40マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 41主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 42しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 従来、聖マルタの記念日だったこの日を、教会は、昨年から、マリア・ラザロを加えた3兄弟姉妹の記念日として祝うことにした。集会祈願では、「御ひとり子はラザロを墓からいのちへと呼びもどし、マルタの家でもてなしを受けた。兄弟姉妹のうちにおられる主に誠実に仕え、マリアとともに主の言葉を深く味わうことによって養われるように」と祈る。
 マルタとマリアの姉妹については、二人の性格や態度が対照的に描かれているルカ10章が主日のミサで読まれたが、ヨハネは、なぜか、受難の直前に、ラザロを加えて3人兄弟姉妹のことを記している。ラザロは、重い病気で命を落としながら、主イエスの言葉によっていのちに呼び戻されるという、特別な恵みをいただいた。マルタは、主がそこにおられたらラザロは死ななかったのに、と言いながら、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」というイエスの言葉を信じ、「あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると信じております」と信仰告白をした。マリアは、言葉こそ少ないが、主の足元に座って聞き入るだけでなく、その足に高価なナルドの香油を塗るという、主への愛の奉仕に専念する。
 主が捕らえられ、裁きにかけられたとき、一様に姿を隠してしまった弟子たちと対照的に、受難に向かうイエスをメシアと信じ、その葬りのために、最大限の務めを果たす姉妹たちのように、愛と信仰に生きることを、ヨハネは信仰者の模範として示しているのではないか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。