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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

主の洗礼(1/8)

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あなたはわたしの愛する子

マルコ1:11
集会祈願

全能永遠の神よ、ヨルダン川で洗礼を受けらられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ、愛する子であることを示してくださいました。洗礼によって新たに生まれ、あなたのこどもとされたわたしたちが、いつもみ心に従うことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (イザヤ55.1-11)

1〔主は言われる。〕
渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
2なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
3耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
4見よ
かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし
諸国民の指導者、統治者とした。
5今、あなたは知らなかった国に呼びかける。
あなたを知らなかった国は
あなたのもとに馳せ参じるであろう。
あなたの神である主
あなたに輝きを与えられる
イスラエルの聖なる神のゆえに。
6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
7神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる。
8わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
9天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
10雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

🌸 答唱詩編 詩編 典164 ①②③

答 喜びに心をはずませ、救いの泉から水をくむ。

神はわたしに救い、わたしは信頼して恐れない。
神はわたしの力、わたしの歌、
わたしの救い。  【答】

神をたたえ、その名を呼ぼう。
神のわざをすべての民に伝え、
その名の誉れを語り告げよう。  【答】

神は不思議なわざをなしとげられた。
神をほめ歌い、
そのわざを世界にのべ伝えよう。  【答】

🌸 第二朗読 (一ヨハネ5.1-9)

1〔愛する皆さん、〕イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。 2このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。 3神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。 4神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。 5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
6この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。 7証しするのは三者で、 8“霊”と水と血です。この三者は一致しています。 9わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。

アレルヤ唱 典258の旗律で

アレルヤ、アレルヤ。ヨハネは自分のほうへイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子ひつじ。」アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ1.7-11)

マルコによる福音
7〔そのとき、洗礼者ヨハネは〕こう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

奉納祈願

いつくしみ深い父よ、主の洗礼の祝日に、この供えものをささげて祈ります。世の罪をあがなう御子の奉献に、わたしたちが一つに結ばれますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

神よ、いのちの糧に養われて心からの祈りをささげます。わたしたちが御ひとり子に聞き従い、あなたの子どもとなることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 私たちは今日、クリスマス・シーズンの終わりを迎える。そして、イエスという人間における神の姿を示す、3回目の偉大な「啓示」がある。最初の “啓示 “は、幼子イエスがベツレヘムの馬小屋で誕生した時、イエスが特別に来られた貧しい人々、疎外された人々、罪深い人々を代表する羊飼いたちがイエスを訪ねた時であった。第二の “啓示 “は、”賢者 “たちが “東方 “からやって来て、生まれたばかりのイエスを礼拝した時である。彼らは、主であるイエスの仲介によって、神の民に数えられるよう招かれているすべての民族と国々を代表していた。

 今日、私たちはイエス・キリストにおける主の三度目の偉大な「啓示」を祝う。時はずっと後である。イエスはもう大人で、おそらく30歳くらいになっている。私たちは、エルサレムの北にあるヨルダン川のほとりで、イエスのいとこである洗礼者ヨハネが砂漠で暮らしているところに連れて行かれる。砂漠はある意味、神が見出される場所だが、イエスにとっては試練と誘惑の場所でもあった。砂漠での初期の教父たちにとって、砂漠はその両方の経験を提供した。

 洗礼者ヨハネは、最も質素な衣服に身を包み、その辺で手に入るどんな栄養でも自給自足するという、非常に質素な生活を送っている。彼は神の人として名を馳せ、大勢の人々が彼の話を聞き、影響を受けようと集まってくる。

 今日の福音の箇所の直前、ヨハネはこう言っている:

 罪の赦しのための悔い改めの洗礼を宣べ伝えている。(マルコ1:5)。

 この言葉の意味を誤解しないことが重要である。川で洗礼を受ければすべての罪が帳消しになると考えるのは大間違いである。それは迷信にすぎない。洗礼そのものが象徴的な行為であり、内面的な変化を伴わなければならなかった。

 ここで「悔い改め」を意味する言葉は、ギリシャ語ではメタノイアである。これは、人生の意味と目的に対する見方、そして人生そのものをどう生きるかという根本的な変化を意味する。私たちが通常「悔い改め」というと、何かをしてしまったことを「反省する」ことだと理解するが、それ以上のことが求められているのだ。メタノイアは、単に申し訳ないと思う以上のものなのだ。そのような誤った行動や傷つくような行動が単に自分の人生から消えるように、自分の態度を全面的に再編成することを求めているのだ。

 そして、「罪の赦し」とは、私たちの罪が伴うかもしれない罪悪感や罰の脅威を、神がただ一掃してくださる以上のものである。ある意味で、私たちの罪がもたらすダメージは、しばしば非常に長い間続き、元に戻すことはできない。もし私が誰かを殺したなら、私がどんなに後悔しても、その人は死んだままだ。ある人の評判を傷つけたなら、それは永遠に傷ついたままかもしれない。傷つけた言葉は取り消せない。

 そしてもちろん、イエスと同じように、私たちの洗礼には、言葉と模範によって信仰を他者と分かち合うという重大な義務が伴う。それは、単に「魂を救い」、「罪のない人生を送る」こと以上のものである。

 私たちは福音の生きた証人となり、地の塩となり、丘の上の町となり、周囲の暗闇の中で光を放つろうそくとなるよう求められているのです。要するに、私たちは、神の国を築き上げるために、キリスト教共同体の他の人々と一致団結するよう召されているのだ。悲しいことに、日曜の小教区の聖体拝領で、多くのカトリック信者が互いにまったく知らない人のように振舞っているのを見ると、これが現実の姿であることがどれほど多いのだろうかと思う!

 第1朗読のイザヤ書でイエスに適用された言葉はすべて、私たち一人ひとりにも適用されるべきものである。私たちの洗礼は、単に埃っぽい教区の名簿に記録された過去の出来事ではない。それは、常に深められ、豊かにされるべき、生きている現実なのだ。

LivingSpaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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