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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

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洗礼者聖ヨハネの殉教(8/29)

ヘロデは、ヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた
集会祈願

 すべてを導かれる神よ、洗礼者ヨハネは、その誕生においても死においても、御子キリストの先がけとなって主の道を備えました。真理と正義のためにいのちをささげた聖人にならい、わたしたちも、力を尽くして福音のあかしとなることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (エレミヤ1:17-19)

〔その日、主の言葉がわたしに臨んだ。〕 
17あなたは腰に帯を締め
立って、彼らに語れ
わたしが命じることをすべて。
彼らの前におののくな
わたし自身があなたを
彼らの前でおののかせることがないように。
18わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて
堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として
ユダの王やその高官たち
その祭司や国の民に立ち向かわせる。
19彼らはあなたに戦いを挑むが
勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、救い出すと
主は言われた。

🌸 答唱詩編 詩編71 典146①②

答 父よ、あなたこそわたしの神、
  わたしのすべてをあなたに。

神よ、あなたはわたしの岩、わたしのとりで。
あなたに逆らう者からわたしを救ってください。
神よ、あなたはわたしの希望、
わたしはいつもあなたをたたえる。 【答】

神よ、あなたの正義と救いのわざを
わたしは昼も夜も告げ知らせる。
神の力あるみわざを語り、
あなたのものである正義を
私はほめ歌う。 【答】 

アレルヤ唱 典271 ⑧

 アレルヤ、アレルヤ。神の正しさのために迫害される人は幸い、天の国はその人のもの。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ6:17-29)

マルコによる福音

 17〔そのとき、〕ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。 18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、 22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、 23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。 24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。 25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。 26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。 27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、 28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。 29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

奉納祈願

 聖なる父よ、この供えものをささげて祈ります。「荒れ野に叫ぶ者の声」と呼ばれた洗礼者ヨハネが、ことばで教え、殉教によってあかししたあなたの正しい道をわたしたちにも歩ませてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 恵み豊かな神よ、聖ヨハネの殉教を記念したわたしたちを顧みてください。今受けた救いの恵みを大切にし、その実りを日々の生活の中で味わうことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日はその殉教の記念日です。洗礼者ヨハネの殉教は、共観福音書のすべてが、かなりのスペースをあてて記しています。それだけ、ヨハネの殉教は、初代教会の中で、大事なこととして語り継がれてきたのでしょう。
 日本語には、「有終の美」という言葉があります。だれもが、最後は美しく、素晴らしい、恥ずかしくない結果を残したい、という人間の願望を語る言葉です。その点からすると、ヨハネの最後は、まさに、その逆と言うべきかもしれません。捕らわれの身として、一人牢につながれ、領主ヘロデと、その連れ合いヘロディアの勝手な思いつきで、首をはねられます。
 不条理とか、無意味とかいう言葉をあてるしかない、このヨハネの最後は、だれも真似しようとしないし、することもできない、屈辱的な最期と言ってよいでしょう。
 しかし、ヨハネの死は、イエスの先駆者にふさわしい死かもしれません。イエスは、短い生涯の間、ひとえに神について人々に語り、人々の病を癒し、人々の期待を一身に担われました。しかし、その最後は、だれよりもみじめな罪人としての十字架の死でした。しかし、それがために、父なる神は、復活という最大の栄光をお与えになったのです。洗礼者ヨハネは、その死においても、イエスのさきがけとなりましたが、栄光においても、イエスと並ぶ栄誉を受けられたことを、教会は今日記念するのです。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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