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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十五金曜日(9/27)

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あなたがたはわたしを何者だと言うのか。

聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (コヘレト3:1-11)

コヘレトの言葉
1何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
2生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
3殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
4泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
5石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
6求める時、失う時
保つ時、放つ時
7裂く時、縫う時
黙する時、語る時
8愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
9人が労苦してみたところで何になろう。
10わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。 11神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

🌸 答唱詩編 詩編139 典53 ①⑤

アレルヤ唱 典270 59

🌸 福音朗読 (ルカ9:18-22)

ルカによる福音書

 18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」 20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
 21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、 22次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」 

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 昨日に続いてコヘレトの言葉が読まれた。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」。美しいことば、人生のすべてを味わいつくした人間の達観した思いがにじみ出た言葉。人間の、移ろいやすい現実を見事に描き、だれもが共感せざるを得ない言葉。しかも、そんな人間に、「永遠を思う心を人に与えられる」神の業を、人はついに見極めることができない、と。何と深い洞察だろうか。
 福音は、イエスの生涯のハイライトとも言うべき、出来事を記す。はたして、あの権威をもって語り、人を驚かせる不思議を行うイエスはいったい誰か。領主ヘロデは、回答をせず、ただ戸惑うばかり。しかし、起居を共にしてきた弟子は、答える。ペトロは代表して、「神からのメシアです」と。マルコでは、ただ、「メシアです」と言い、マタイは、荘厳に、「生ける神の子、キリストです」と答えさせている。
 イエスをメシアである、と告白することは勇気ある行為。ファリサイ派の人々や、律法学者は決して、そんな発言をすることはできない。しかし、イエスは、ペトロの答えに、すかさず、このことをだれにも話さないように命じ、受難の予告をされる。ルカは何も記さないが、言葉少なに語るマルコは、「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた」と記す。苦しみを通して、真のメシアとなることは、十字架の死、そして、復活のイエスに出会って、はじめて弟子たちも悟ったのだ。パウロが、「わたしたちは、十字架に付けられたキリストを宣べ伝えています」と公言したのは、復活のイエスを体験したからなのだ。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. もう十年近く教会で見かけてない典礼オタクの青年がイエズス会司祭をつかまえて御聖体をおにぎりや具だくさんのパンにすることはできるかと審問していた。その司祭がどう答えたか忘れたが、今、自分だったら状況によればできると答えるだろう。何日もまともな物を食べてない人々と飽食社会の人々と、それぞれ御言葉は異なるだろうから。
    ぇ!?待てよ。御聖体は普遍の食べ物、酵母を入れないパンかな。復活のキリスト。典礼のことはわからないが、復活のイエスがペトロに世話をしなさいと言っている。復活のイエスを頂いている我等は羊の世話ができるし、せずにはいられない。

  2. 分かち合いの結語、復活のイエスを体験。
    これがすべて。
    つまり聖体拝領。

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