神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない
集会祈願
🌸 第一朗読 (エゼキエル16:1-15、60、63)
1主の言葉がわたしに臨んだ。 2「人の子よ、エルサレムにその忌まわしいことを知らせなさい。 3あなたは言わねばならない。主なる神は、エルサレムに対してこう言われる。お前の出身、お前の生まれはカナン人の地。父はアモリ人、母はヘト人である。 4誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布にくるんでくれる者もいなかった。 5だれもお前に目をかけず、これらのことの一つでも行って、憐れみをかける者はいなかった。お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。 6しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。 7わたしは、野の若草のようにお前を栄えさせた。それでお前は、健やかに育ち、成熟して美しくなり、胸の形も整い、髪も伸びた。だが、お前は裸のままであった。 8その後、わたしがお前の傍らを通ってお前を見たときには、お前は愛される年ごろになっていた。そこでわたしは、衣の裾を広げてお前に掛け、裸を覆った。わたしはお前に誓いを立てて、契約を結び、お前は、わたしのものになった、と主なる神は言われる。
9わたしはお前を水で洗い、血を洗い落とし、油を塗った。 10そして、美しく織った服を着せ、上質の革靴を履かせ、亜麻布を頭にかぶらせ、絹の衣を掛けてやった。 11わたしはまた、装身具をお前につけ、腕には腕輪、首には首飾りをつけた。 12また、鼻に飾りの輪を、耳には耳輪を、頭には美しい冠をかぶらせた。 13こうして、お前は金銀で身を飾り、亜麻布と絹とで美しく織った服を身に着けた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は非常に美しくなり、女王のようになった。 14その美しさのゆえに、お前の名は国々の間に広まった。わたしがお前を装わせた装いには、少しも欠けるところがなかったからである、と主なる神は言われる。
15それなのに、お前はその美しさを頼みとし、自分の名声のゆえに姦淫を行った。お前は通りかかる者すべてにこびを売り、身をまかせた。
60だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる。
63こうして、お前が行ったすべてのことについて、わたしがお前を赦すとき、お前は自分のしたことを思い起こして恥じ、自分の不名誉のゆえに、二度と口を開くことはできなくなる」と主なる神は言われる。
🌸 答唱詩編 詩編 典164①②
答:喜びに心をはずませ、救いの泉から水をくむ。
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。
神はわたしの力、わたしの歌、
わたしの救い。 【答】
神をたたえ、その名を呼ぼう。
神のわざをすべての民に伝え、
その名の誉れを語り告げよう。 【答】
アレルヤ唱 典270(57)
アレルヤ、アレルヤ。神の言葉はあなたがたのうちに働いている。人間のことばとしてではなく、神のことばとして受け入れなさい。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ19:3-12)
マタイによる福音
〔そのとき、〕3ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。 4イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」 5そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 6だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 7すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」 8イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。 9言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」 10弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。 11イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。 12結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
離婚の問題は、デリケートであまり触れたくないテーマだが、社会の変化に伴って、身近なところで、かなり起きていることも事実。様々な事情で、望まずして、そこまで行かざるを得ない人もいれば、どこかで妥協している人もいる。カトリック教会は、伝統的に、離婚に対して厳しい姿勢をとってきたが、フランシスコ教皇は、原則を守りながらも、傷ついた離婚者に対して最大限の配慮を示すよう望まれ、教会法上も種々改定を加えられた。他人が容易に介入できない夫婦の間柄に対して、軽軽な判断はしないよう気をつけなければならない。
イエスの時代に、ユダヤ人の間でも、離婚に対する考えははっきりしていたが、その解釈には、かなりの幅があったらしい。離縁について、申命記が記している「離縁状を渡す」ということが、安易に考えられていたことも否定できない。
イエスは、そこで、結婚の根本に立ち返り、そもそも結婚は何か、ということから考える。つまり、結婚というものが「神が合わせる」(現代的な表現では、「当事者二人の間の自由な同意」)という原点に立ち返って、それを一時的な感情や自分中心的な計算で絶ってはならない、と主張する。
かつては、家を守ること、子孫を儲けることが重視されたが、今、考慮すべきもう一つの点は子ども自身のこと。結婚が二人の愛の絆によって幸せをもたらすものであるならば、その幸せを子どもたちから奪ってはならないのではないか。
結婚の誓いが、絶え間ない絆の更新、互いの謙遜な祈りなしに存続できないことを思い、結婚の絆を結ばれた人々、特に、はからずも、結婚によって傷ついた人々のために祈ろう。(S.T.)