年間第十六金曜日(7/27)
種を蒔く人のたとえを聞きなさい
聖マリアの両親 聖ヨアキムと聖アンナ(記)
集会祈願
🌸 第一朗読 (エレミヤ3:14-17)
エレミヤの預言
背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。わたしこそあなたたちの主である。一つの町から一人、一つの氏族から二人ではあるが、わたしはあなたたちを連れてシオンに行こう。 15わたしはあなたたちに、心にかなう牧者たちを与える。彼らは賢く、巧みに導く。 16あなたたちがこの地で大いに増えるとき、その日には、と主は言われる。人々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に浮かべることも、思い起こすこともない。求めることも、作ることももはやない。 17その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい、主の御名のもとにエルサレムに集まる。彼らは再び、かたくなで悪い心に従って歩むことをしない。
🌸 答唱詩編 詩編65 典183③⑤
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マタイ13:18-23)
マタイによる福音
〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。 19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。 20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。 22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。 23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
古代、異教の祭司たちは、自分たちの神々を執念深く気まぐれな存在として描いていた。彼らによれば、選りすぐりの肉や上質のワインなどの生贄は神々を鎮めるためのもので、実際には祭司たちを利するものだった。それとは対照的に、唯一のまことの神は、ご自身のためでも祭司たちだけのためでもなく、民のために戒めをお与えになった。神は、ご自分のために特別に定められた民として、どのように生きるべきかを教えられたのである。
その良い例が第一の戒めである。神はイスラエルの民に、他の国々が拝んでいた「他の神々」から離れるようにと言われた(出エジプト記20:3)。そうすることで、神の愛と設計と調和して生き、神の民であることの祝福を経験することができるのだ。
ユダヤの民は初めから、十戒が自分たちを祝福し守る源であると理解していた。神はすでに自分たちのために多くのことをしてくださっていることを知っていた。神の命令に従うことによって、彼らは神のいつくしみに敬意を表し、神に召された民として成長することができるのだ。
これらの戒めは3000年以上前のものだが、その目的は変わっていない。神は私たちを赦し、贖い、御霊で満たしてくださった。今、神の命令に従うことは、神が私たちに注いでくださった憐れみと愛に応える私たちの方法なのだ。それは、私たちが主の近くにとどまり、周囲の人々に主の愛を現すような生き方をするための方法なのだ。
私たちは罪によって暗くなり、何が善で何が真実なのか混乱した世界に生きている。しかし、神の命令は依然として私たちを際立たせている。従順をもって神の憐れみに応えるとき、私たちは周囲の世界に輝きを放つことができる。私たちは、その掟を私たちに与えてくださった神のいつくしみを明らかにすることができ、私たちの人生は、他の人々が自分の心の中でその神と出会うための開かれた招きとなることができる。
(『The WORD among us』より)