降誕節1月2日(公現前)
『主の道をまっすぐにせよ』と。
集会祈願
🌸 第一朗読 (一ヨハネ2.22-28)
使徒ヨハネの手紙
22〔愛する皆さん、〕偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。 23御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。 24初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。 25これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。
26以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました。 27しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。
28さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。
🌸 答唱詩編 詩編98 典149①②
答:遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
新しい歌を神にうたえ。
神は不思議なわざを行われた。
神の偉大な右の手、
その尊い腕は救いの力。【答】
神は救いを示し、
諸国の民に正義を現された。
いつくしみとまことをもって、
イスラエルに心を留められる。【答】
アレルヤ唱 典
アレルヤ、アレルヤ。神は昔、預言者を通して先祖に語られたが、この終わりの時にはご自分の子を通してわたしたちに語られた。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ヨハネ1.19-28)
ヨハネによる福音
19ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 20彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 21彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 22そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 23ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」
24遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 25彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 26ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 27その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
主の公現までの一週間、典礼には、待降節中に注目された洗礼者ヨハネが再び登場する。主イエスのご公現、さらには、公の活動の前に、人々の心を整える必要があるかのような、教会の特別な配慮である。
もしや、あなたが約束されたメシアではないかとの、ユダヤ人指導者の疑問に答えるかのように、ヨハネは言う、「わたしはメシアではない」、さらに、エリヤではない、そして、あの預言者でもない。むしろ、預言者イザヤが記した「荒れ野で叫ぶ声である」、と。
待降節の間に聞いた言葉を、なぜ、あらためて降誕節に聞かなければならないのか。お生まれになった救い主が、人々の前に出て、公の活動を始めるまでに、30年もの年月を費やされたように、公現後に聞くことになる、主のみ言葉に心を備えるために、教会があえて、示された配慮だろうか。ヨハネは、救いを待ち望んだ旧約の先祖たち、そして、預言者たちの最後に登場し、人々の心を備えるように選ばれた存在である。
今の時代、人々はとかく、物事を早く進めようとする。そして神の望みをも、短い時間のなかで実現しようとしている。しかし、神は、時間の経過を大切にされる。神ではなく、人間にとって必要な時間である。無駄とも思える時間の中で、神の働きが少しずつ実りを結ぶ。そんな神のはからいを思いながら、静かに、ゆっくりとした心で、主の時に向けて心を整えよう。(S.T.)