この方こそ神の子であると証ししたのである
主イエスのみ名
集会祈願
🌸 第一朗読 (1ヨハネ2:29-3:6)
ヨハネの手紙
〔子たちよ、〕29あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。
1御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 3御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
4罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。 5あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。 6御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。
🌸 答唱詩編 詩編 典
答:遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、
賛美の歌で神をほめよ。
たて琴をかなでて神をたたえ、
その調べに合わせてほめうたえ。【答】
ラッパと角笛を吹き、
神の前で喜びの声を上げよ。
世界とそこに住む者は、
神の前に喜びうたえ。【答】
アレルヤ唱 典
アレルヤ、アレルヤ。みことばは人となり、わたしたちのうちにお住みになった。主を受け入れる人には神の子となる恵が与えられた。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ヨハネ1:29-34)
ヨハネによる福音
29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」 32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
降誕祭を終え、公現の祭日を数日後に控えたこの時期に、待降節の間、よく聞いた、洗礼者ヨハネの姿を思い出させるのは、なぜだろうか。
今日の箇所の直前では、洗礼者ヨハネはファリサイ派の人々の前で、自分は「メシアではなく、荒野で叫ぶ声」だ、と語っている。「その翌日」、と始まる今日の箇所では、だれが聴衆か示されない。もっと、本質に触れる内容だからだろうか。自分のもとに来るイエスについてヨハネは言う、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。「神の小羊」と言えば、『出エジプト記』に出る、イスラエルの家を救うしるしとなる小羊の血を思い出す。さらには、エルサレムの神殿で捧げられる無数のいけにえのこと。そして、『イザヤ預言書』53章に出て来る、人々の痛みを担う不思議な神の僕の姿が思い浮かぶ。
しかし、イエスがまさにそのような小羊に象徴される人類の罪を担う方であると教会が確信し、毎日捧げるミサの中で、繰り返し、その言葉を唱えるのは、イエスの受難と死、復活を経験し、その後の闇・苦しみ・絶望の中ではじめて得られたことを忘れてはならない。「神の小羊」という謎に満ちた呼び名は、洗礼者ヨハネが、イエスに先だって歩み、イエスを証しする使命を負ったものとして、「世の罪を取り除く神の小羊」としてのイエスの本質を、前もって、預言者として示すことが託されたのではないか。 あらためて、洗礼者ヨハネによって証しされた方の誕生をこころから寿ぐ恵みを祈ろう。(S.T.)