義のために迫害される人々は、幸いである
集会祈願
🌸 第一朗読 (黙示録7:2-4、9-14)
ヨハネの黙示
2わたし〔ヨハネ〕はまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、
小羊とのものである。」
11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、 12こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、
誉れ、力、威力が、
世々限りなくわたしたちの神にありますように、
アーメン。」
13すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」 14そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
🌸 答唱詩編 詩編24 典158 ①②③
🌸 第二朗読 (一ヨハネ3.1-3)
使徒ヨハネの手紙
1〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 3御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
アレルヤ唱 典276(諸聖人)
🌸 福音朗読 (マタイ5:1-12a)
マタイによる福音
1〔そのとき、〕イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
幸い
3「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
5柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
6義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
7憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
教会の暦には、年間を通して、多数の聖人の祝日や記念日があるが、今日祝う「諸聖人の祭日」は、教会が「聖人」と認めたすべての人を、賛美と感謝の心をもって記念する日である。先日、韓国で大変な雑踏事故が起きたが、実は、彼らが集まったハロウィーン(All Hallows’Eve)は、本来、この諸聖人の祝日の前夜の意味である。
諸聖人の祝日は、使徒や殉教者を記念する祝日として始められたが、殉教者に限らず、キリストに従って、生前からその傑出した徳によって「聖人」として尊敬された人、人々への奉仕や宣教に捧げつくした人等、教会が公式に聖人として認めた人々をたたえ、神に感謝と賛美を捧げる日である。日本の教会にも、多くの殉教者が聖人の列に加えられている。
聖人たちは、様々な民族、身分、年齢、状況の中で、神の招きに自らを開き、応えていったという共通点があるが、その一人一人の生き方を知れば知るほど、人並外れた心の広さ、神に仕える熱意、人々への惜しみない愛に感動させられる。天の栄光に挙げられた聖人たちは、現在を生きる信仰者の模範であり、また、神のもとに憩われる力強い執り成し手である。
福音は、山上の説教からの言葉だが、真の「幸い」が、人間が考える「しあわせ」と違い、もっぱら自らを空しくし、神にすべてを委ねることからくることを、聖人たちの生き方を通して悟り、それを目指して生きる恵みを祈ろう。(S.T.)
いつもこの欄に書こうとする時、分かち合いや自分が以前書いたはずの文章が消えた状態になってしまう。
でも、それでいいのかも。今この瞬間を書こう。
今この瞬間が神秘だから。
2022年11月3日午前3時
こうやってここに文章書いて、コメントを送信、てとこ押すと以前書いた文章が出て来て恥ずかしい思いをする。
恥の文化から罪の文化へ。
罪の文化から恵みの文化へ!
我々は歩んでゆきたい!
アーメン!
アレルヤ!
とにかく死なないこと、殺さないことが第一。
あとは何とかなる。
真福八端の八端は普通の人が嫌なこと避けたいこと。
ともかく生きてりゃ幸せになれる、この世でも。
何があっても。
ハローウィンの昨日、日本では死者はなかった。
では韓国での死者は?
とにかく死を悼み遺族や生き残った人々とともにいたい。
言葉の違いだけでも壁になることがあるのに、その上、国境なんていらない。
悲しみの連帯・苦しみの連帯こそ基本だ。
分かち合いにある通り、世間的しあわせ、一緒に遊んだり飲み食いしたなんて快樂の連帯、壊れやすいし、そもそも心は満たされない。
あれ?もしかしてこの祈る花も今はやりのSNS?
知らぬ間にSNSに再デビュー
今朝の毎日新聞18頁によると、
高校1年で総いじめを受け、家族も不和で行政の相談窓口は「正論」ばかりで辟易。匿名で死にたいと本音を語れるツイッターが救いだったが、そこで知り合った男に会いに行ってレイプされた20代の女性が、それでも、
嫌な思いもしたけど、それ以上に救われた面もある。今の私を引き留めてくれるのはツイッターしかない、と。
そして10月のある夜、
死にたい気持ちは痛いほどわかるけど、生きてほしい。どこか助けてくれるところとつながってほしい。いつか生きててよかったと思ってほしい。
と、顔の見えない誰かに向けて書き込んだ。
すごい福音宣教者!
ネットを聖なる普遍の教会にしている。
ツイッターは彼女によって霊的に買収された。
万歳!
アーメン!
アレルヤ!
追伸
これだけでは彼女の素晴らしさが論証できてないと思いますが
カール・ラーナーが教会で何があっても教会をやめるなんてありえないと言ってることと同じです。
ともかく我々在朝在野イエズス会士としては彼女を一本釣りするしかない!
かぐや姫作戦
用意、ドン!
カール・ラーナーまで引き合いに出す自分が全く恐ろしい。孤立無援の抑圧状態にあるから、逆に、この世のものでも過大評価し無理に楽観的になろうとする。ツイッターと教会は全く違う。
教会はキリストの体であり秘跡であると思う。
とにかく先に訂正した通りだ。
母のことは諦めるしかないかもしれない。戦前戦中の日本について『草の根ファシズム』という研究書もあったが、今も地域ぐるみで人道人権に対する犯罪が蔓延している。
孤立無援の状態では、沈黙を貫き、神のみを頼りにするしかない。
祈る花に助けられている。
カトリック・キリスト者は日本のマイノリティでありマイノリティは社会的武器・権力を持たなければ罪人病人障害者にされるのは世の常だ。マルコ3章21節、使徒26章24節参照。
無防備な人間はイエスの霊、聖霊に従わないと危険だ。
今度こそ世に対し沈黙を保ちたい。
2022年11月11日
とにかく死なないこと、殺さないことが第一。
あとは何とかなる。
真福八端の八端は普通の人が嫌なこと避けたいこと。
ともかく生きてりゃ幸せになれる、この世でも。
何があっても。
ハローウィンの昨日、日本では死者はなかった。
では韓国での死者は?
とにかく死を悼み遺族や生き残った人々とともにいたい。
言葉の違いだけでも壁になることがあるのに、その上、国境なんていらない。
悲しみの連帯・苦しみの連帯こそ基本だ。
分かち合いにある通り、世間的しあわせ、一緒に遊んだり飲み食いしたなんて快樂の連帯、壊れやすいし、そもそも心は満たされない。
あれ?もしかしてこの祈る花も今はやりのSNS?
知らぬ間にSNSに再デビュー
今朝の毎日新聞18頁によると、
高校1年で総いじめを受け、家族も不和で行政の相談窓口は「正論」ばかりで辟易。匿名で死にたいと本音を語れるツイッターが救いだったが、そこで知り合った男に会いに行ってレイプされた20代の女性が、それでも、
嫌な思いもしたけど、それ以上に救われた面もある。今の私を引き留めてくれるのはツイッターしかない、と。
そして10月のある夜、
死にたい気持ちは痛いほどわかるけど、生きてほしい。どこか助けてくれるところとつながってほしい。いつか生きててよかったと思ってほしい。
と、顔の見えない誰かに向けて書き込んだ。
すごい福音宣教者!
ネットを聖なる普遍の教会にしている。
ツイッターは彼女によって霊的に買収された。
万歳!
アーメン!
アレルヤ!
これは、誤りだ。ツイッターと教会とはまるで違う。
教会はキリストの体であり、教会自体が秘跡だと思う。
父親は不可解な死を遂げたが、母がいるからと、家族親戚故郷の土地に留まっているが、その母まで拉致され孤立無援の状態の中で、この祈る花にはすっかり世話になっている。
聖書朗読や福音、司祭による分かち合い、そして美しい花々。
神への招きにあふれているから安心して頼れる。
今度こそ世間的には沈黙し、神の恵みに浸る日々を過ごしたい。
20022年11月11日
心の貧しい人々は幸い
誤解されやすい翻訳だが
霊において貧しい人
というのが直訳との解説を読むと
悲しむ人々、柔和な人々、、と続く言葉がすらすらと心に入ってくる。
真実であり善そのものであり、すべてを美しく変える神を求める人々
神に飢え乾く人々
神以外のもので心を満たそうとしない人々
純粋な愛・神の愛を求めている人々
そのような人々は、この八つの状態にあるから神を迎えることができる
うまく言えないが、本当に味わい深い今日の福音だ。
あれこれの哲学書なんてすべて捨てて、イエス・キリストだけですべて満たされる、と言ったパウロの気持ちがわかる気がする。
勿論、世の人々とのつきあいに哲学書やカラオケをはじめあれこれ道具や手段は必要かもしれないが。
イエス・キリストのあまりの豊かさを知る、享受するには、この八つは心の必須のコンデイション・条件だろう。
天国ではない、この世で生きつつも、この世に富を積むよりも天に富を積む以上、この八つの状態・状況は避けられない。まさに真福八端とはよく言ったものだと思う。
私自身を省みれば、特に柔和と平和を心がけたい。つい激烈に火を投じてしまうから。火はイエス・キリストのみでよいのかもしれない。
今年の聖土曜日の晩、父の死の真実に気づいた母と地元警察に抗議に行かなければ私の逮捕もその留守中の母の拉致失踪もなかった。
ただ、あれほど毅然と私よりも先に一人で車の助手席に母が座ったことは今までなかった。
悪や地域ぐるみ犯罪に対し、柔和で平和でよいはずはない。
イエスも、
その火が既に燃えていたらと、
と言っている(ルカ12章49節以下)。
他方、祈る花では割愛されている本日第2朗読 ヨハネの手紙一3章1節以下にあるように、天の父なる神の圧倒的愛の下にある者としては、すべてをゆるす時かもしれない。
なかなか難しいが、主であり神であるイエス・キリストについて行くしかない。
今、第一ヨハネの手紙3章から4章を見て本当に良かった。
そしてちょっぴり懐かしい!
2008年1月7日告解室で師は今日の第1朗読!と言った。第1ヨハネの手紙3章22節から4章6節だった。ウオーっと思った。
聖書こそ人類のバイブル。
当たり前のことだ。
福音宣教とは当たり前のことを宣教することだ。
僕は人間。
喰う寝る宣教は人生の基本。