待降節第一火曜日(12/2)
天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
🌸 第一朗読 (イザヤ11:1-10)
イザヤの預言
〔その日、〕
1エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
2その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
3彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。
4弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
5正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。
6狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
7牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
8乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
9わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。
10その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。
🌸 答唱詩編 詩編72 典60 ④⑤
神はすべてのものを治め、偉大な力に満ちておられる。
王は助けを求める乏しい人と
見捨てられた貧しい人を救う。
貧しく不幸な人をあわれみ、
苦しむ人に救いをもたらす。
王の名は世々に及び、
子孫はいつまでも栄える。
すべての人は彼によって祝福され、
すべての国は彼をたたえる。
アレルヤ唱 典256 ⑨
アレルヤ、アレルヤ。主は力強く来られ、しもべの目を開かれる。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ルカ10:21-24)
ルカによる福音
21そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 22すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」 23それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 24言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
🌸 分かち合い
福音には珍しい、「天地の主である父よ」という呼びかけを福音記者ルカが残したことに感謝したい。「創造主」、あるいは、「天地の主」という言葉は、旧約聖書の中では、先祖の祈りや詩編、さらには預言者の言葉に繰り返し登場し、イスラエルの神の根本的な特徴と考えられている。
しかし、イエスの口から、あえて、「天地の主である父よ」という言葉が発せられたとき、わたしたちが生きるこの大地が、わたしたちのものでなく、創造主である神のものであることを、あらためて意識させられるのではないか。
しかも、その「天地の主である父」が、「これらのこと」(おそらく神の国の神秘)、を「知恵あるものや賢い者」ではなく、「幼子のようなもの」に表わされたことを、ことのほか、イエスが喜ばれたことに、また、感動させられる。かつて、『申命記』の作者は、イスラエルの選びについて、「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった」(申7.7)と記している。
神は、その大いなる知恵と愛を示されたのが、数の多さや力の強さ、また、能力の高さ等、人間的な尺度によってではなく、まさに、その逆であることがここに表れてくる。預言者たちは、その鋭い霊感によってそれを悟っていたが、神の子イエスは、自らの言葉だけではなく、ふるまい、存在を通して、それを明らかにされたのである。わたしたちも、自らの小ささを認める時、はじめて大いなる神の知恵と愛に触れる恵みが与えられることを悟らせていただこう。(S.T.)
