集会祈願
🌸 第一朗読 (使徒言行録22:3-16)
使徒たちの宣教
3〔その日、パウロは人々に言った。〕「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。 4わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。 5このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」
6「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。 7わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。 8『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。 9一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。 10『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。 11わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。
12ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。 13この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。 14アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。 15あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。 16今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」
または 使徒言行録9:1-22
1〔その日、〕サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、 2ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。 3ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 4サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 5「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 6起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」 7同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。 8サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。 9サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
10ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。 11すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。 12アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」 13しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。 14ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」 15すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。 16わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」 17そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」 18すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 19食事をして元気を取り戻した。
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、 20すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 21これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」 22しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
🌸 答唱詩編 詩編117 典132①②
アレルヤ唱 典277(聖パウロの回心)
🌸 福音朗読 (マルコ16:15-18)
マルコによる福音
15〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。 16信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。 17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。 18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
使徒言行録が伝えるパウロの回心は非常に劇的で、インパクトが大きい。実際、使徒言行録の中に3回も記され、そのうち2回は、パウロ自身の言葉として記されている。そして、それがあたかもパウロの回心のすべてであるかのように、伝えられてきた。それは、あれほど言葉を尽くして語り、手紙にしたパウロが自分自身の回心について、あまり語らないからかもしれない。
しかし、何も記していないわけではない。たとえば、「ガラテヤの信徒への手紙」の中で、パウロは言う、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示し(啓示)て、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(ガラ1.15∼16)と。また、「フィリッピの信徒への手紙」の中で、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」(フィリ3.8)と。
ルカが、パウロの死後、20年以上も経ってから、使徒言行録の中で、やや定式化された回心物語として記したことを、パウロ自身は自分の言葉で、控えめに手紙の中に書き残していたのだ。神が短い月日の間に、パウロを律法の忠実な僕から、十字架につけられた主イエスの熱烈な信仰者、さらには、異邦人への宣教者へと導かれた神の驚くべきいつくしみに、感謝と賛美を捧げよう。(S.T.)
先頃、加賀乙彦が死んだ。
『愛と美と文学』を書いた中村真一郎が死んだ時、加藤周一と加賀乙彦のコメントが載った新聞を持って新宿のバーで議論したことを覚えている。
私は当時、内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』をもじって「余は如何にして基督信徒とならざりし乎」を書いた加藤周一がまさか洗礼を受けるとは知らず、加藤の『羊の歌』正続をバイブルのように読んでいた。
カルロ・マリア・マルティーニ師はガラテヤ書とフィリピ書のことをそれぞれ、救いの現存とパウロの体験の要約を著したものと言っている。
そして、分かち合いが指摘するように、パウロ自身は、良い意味でとんでもない出来事を、自分の言葉で控えめに書いている。他方、世界的視野もつ医師ルカが、やや定式化して書いているのが興味深い。
本人は控えめに!
世界内的科学的人間はやや定式化して!
控えめに、と、やや、がミソである。
本人たちが激烈に語り、科学的拝金主義者が過剰診断した結果、日本は収容所列島となった。
本人たち、即ちキリスト者としては、沈黙と柔和と謙遜が必要だ(この点、深く反省)。
パウロ自身、相当慎重だった。
(浜崎あゆみ)♫ほんとうに大切なもの以外すべて捨てて♫
(ハンナ・アーレント)『精神の生活』を送らなければ!
トマス・アクィナスは、精神とは受容性、、、ということを言い、
恵みを受け入れることができる恵みを神に祈り求める、と言っていたと思う。
(ここでの精神とは、肉体と対比されるものではなく、体とともにその人の気と言うか、家に家風があるように、その人の風!?
嵐を呼ぶ男の嵐!?
まあ、全身全霊といったようなものです。)
本日福音冒頭カッコ内、12使徒のひとりが欠けている。
イスカリオテのユダ。
せっかく回心したのに、科学的法律的拝金主義者のもとに行ってしまい自殺に追い込まれた。
ペトロも万死に値する罪を犯しながら、日々是大泣きして赤く腫れた目をして、イエスの仲間の日常に戻った。
七転び八起き、達磨大師!?ペトロに続こう!