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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

年間第十七木曜日(7/29)

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わたしは復活であり、命である。

ヨハネ11:25

聖マルタ 聖マリア 聖ラザロの記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (一ヨハネ4.7-16)

 7愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 11愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 12いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。
 13神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 14わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 15イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。 16わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。

🌸 答唱詩編 詩編34 典128 ①②

アレルヤ唱 典268 ⑦

🌸 福音朗読 (ヨハネ11.19-27)

ヨハネによる福音
  19〔そのとき、〕マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。 20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。 21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

またはルカ10.38-42
 38〔そのとき、〕イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 39彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 40マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 41主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 42しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 マルタのようにもてなすことよりも、マリアのように主の言葉を聞くことのほうが大切だと主イエスは考えているのでしょうか。主イエスはご馳走を期待しているのではなく、自分の言葉を聞いてほしいと思っていたことでしょう。しかし、主イエスはマルタの奉仕そのものを否定しているのではないということも大切です。「もてなす」はギリシア語で「ディアコネオーdiakoneo」ですが、この言葉は「仕える、奉仕する」とも訳される言葉で、主イエスと主イエスの弟子たちの生き方の中心にあるものを表す言葉です。マルコ10章43-45節「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕(しもべ)になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。

 やっぱり、奉仕するのはキリスト者の日々生活の中でとても大切な生き方となっています。しかし、この奉仕の中心はその仕事に夢中になったことですか、あるいは自分の思い、自分自身を中心とすることですか。そうではなく、むしろ本当の奉仕は何よりもまず神のみ言葉を聞き、相手の声に耳を傾ける必要があります。マルタはこれを忘れてしまいます。彼女はあのもてなしの仕事に夢中になって、客人の存在を、この場合は主イエスがいるということを忘れてしまってたようです。

 このマルタに対して、主イエスは次のように言おうとするかもしれません。「マルタ、マルタ、どうしてあなたは自分に客人がいることを忘れてしまうほどに、忙しくしているのですか。客人は石でありませんよ。客を迎え入れるに、多くのことは必要ありません。耳を傾けること、まさしく必要なのはこれだけです。そうです。客人を兄弟姉妹のように迎え入れ、臨時の避難所ではなく、その客人が家族の中にいるかのように感じられるようにしてください」。

 このように理解すれば、慈善のわざの一つであるもてなすことは、人の道にかない、キリスト教らしい徳の実際の表れであることが分かります。現代社会の中で、色々な病気、孤独、社会的疎外に対処するための様々制度が用意されていますが、自分たちとは違う人、社会から疎外された人、排斥された人たちが、その人たちに耳を傾けてくれる人と出会える機会は少なくなっています。その人たちは外国人であり、難民であり、移住民なのですから、彼らのつらい話に耳を傾ける必要があるのです。

 どうか主イエスの存在を忘れないで、神のみ言葉や困っている人々の声に耳を傾けながら、仕えるものとなりますように、神のお助けとお導きを願い求めましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 🎶神のみ旨を行うことは
    私の心の喜び🎶
    といつも賛美のうちに過ごせます様に🍀

    返信

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