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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第二火曜日(1/16)

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人の子は安息日の主でもある

マルコ2:27
集会祈願

🌸 第一朗読 (サムエル上16.1-13)

 1主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」 2サムエルは言った。「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、 3いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」 4サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」 5「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」
 サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。 6彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。 7しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」 8エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」 9エッサイは次に、シャンマを通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」 10エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」 11サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」 12エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」 13サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。

🌸 答唱詩編 詩編89 典38 ①②

アレルヤ唱 典273 28A

🌸 福音朗読 (マルコ2.23-28)

マルコによる福音

 23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 24ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 25イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 27そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 28だから、人の子は安息日の主でもある。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」。
 人はいったん、規則を作ると、それに縛られ、規則の目的や意図は忘れて、規則を守り、守らせることに神経をすり減らす。安息日に麦の穂を摘んだ弟子たちのことで、イエスに難癖をつけるファリサイ派の人々は、まさに、そのような人の代表。
 イエスは、あのダビデ王のふるまいを例にして、安息日の意義を説く。まだ、エルサレム神殿ができる前、イスラエルの人々は契約の板を治めた箱を、幕屋の中心に置き、そこに供え物を捧げ、礼拝を続けた。ダビデ王は、供の者と、空腹だったとき、祭司だけが食することが許される供えのパンを取って食べた。
 そこでイエスが教えようとされたのは、緊急事態における例外的な対応のことではなく、安息日そのものの意義を考えさせることだった。イスラエルの民は歴史を通して、十戒の一つ、安息日を、いつも大事に守ってきた。それは、世界を創造し、イスラエルをエジプトから解放された神に感謝と賛美を捧げ、礼拝する日と理解された。そのために、その日は一切の労働を休み、人間の働きに先んじて、人間に必要なものを、すべて与える神に心を向ける日だった。
 イエスは、この掟を無視し、否定するわけではない。むしろ、その意味をより深く理解させようとされたのだ。そして、イエスは言う、「人の子は安息日の主でもある」と。神への感謝と賛美、それは、神から遣わされた神の子、イエスのもとで捧げられるとき最も意義深い安息である、とイエスは教えられるのではないか。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11.28)と。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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