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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十一木曜日(8/25)

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目を覚ましていなさい。

マタイ24:42
集会祈願

🌸 第一朗読 (一コリント1:1-9)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 1神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、 2コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。 3わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 4わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。 5あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 6こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、 7その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。 8主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。 9神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

🌸 答唱詩編 詩編145 典63 ①②

アレルヤ唱 典

269 ㊸

🌸 福音朗読 (マタイ24:42-51)

マタイによる福音 

 42〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 43このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
 45「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。 46主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 47はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 48しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、 49仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。 50もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、 51彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 受難を目前に控えた神殿でのイエスの最後の説教のはじめの言葉。「目を覚ましていなさい。」最後の晩餐の後、ゲッセマネの園で祈られた時にもイエスは弟子たちに言われた、「目を覚ましていなさい」と。自分に残された時間が僅かであることを察知して、心の奥底からほとばしり出た言葉だろうか。
 手術の結果を待つときのように、試験の結果の発表を待つ時のように、何をすることもできず、ただ、その時を待つだけなのだろうか。
 「人の子は思いがけない時に来る」「僕の主人は、予想しない時、思いがけない時に帰ってくる」と言われる。その時までにしておくべきことを済ませ、用意万端整った状態であることか。主人の帰りを待つ僕のように、ただ、ひたすら、その時のために寝ずの番をすることか。僕であることは、自分の自由になる時間を持たないということ、それは、すべて主人の手の内にあるということ。しかし、はじめのたとえでは、主人自ら、「目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしない」とある。僕であろうが、主人であろうが、「目を覚ましていている」とは、自分が自分の主人ではない、自分の時間は自分のものではない、自分の時間を支配する方の前で、まさに、僕のように、へりくだりの心をもって生きることではないか。自分の存在と自分の行いが、すべて自分の力ではなく、自分を超えたところから来ることを悟るための時なのではないか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 7年前、あるイエズス会神学生は、目を覚ましている、とは神と共にあること、と言った。

    ネット上だけでない交わりが恋しい。

    最近、電話で、では、神から離れてしまうとはどんなときか、と反問したら、よい質問だと言ってくれてた上で、だが、それは我々人間の側の問題で、離れていると思っても神は我々と共にいてくれる、マタイ福音書の最後の言葉を信じている、と。

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