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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第三十火曜日(10/31)

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忍耐して待ち望む

ローマ8:25
集会祈願

🌸 第一朗読 (ローマ8.18-25)

 18〔皆さん、〕現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。 19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。 20被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 23被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。 25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

🌸 答唱詩編 詩編126 典154 ①③

アレルヤ唱 典271 ⑫

🌸 福音朗読 (ルカ13.18-21)

ルカによる福音

 18〔そのとき、〕イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。 19それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
 20また言われた。「神の国を何にたとえようか。 21パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ルカはこの時点で、イエスが開こうとしている神の国について、二つの短いたとえ話を挿入している。

 「神の国」とは何を意味するのか、簡単に思い出してみよう。ギリシャ語ではバシレイアといい、正確には「王権」あるいは「統治」と訳される。つまり、私たちが話しているのは、場所ではなく、人間関係のネットワークなのだ。神のバシレイアは、人々が自分たちの生活と相互関係の中で、神の愛の力に自らを委ね、神の愛と正義を世界にもたらすために協力し合うところに生じる。

 イエスは王国の象徴であり、まさにその体現者であり、イエスをとおして、神の愛の力が人々の生活に入り込む。そして、人々がイエスとそのメッセージを受け入れる限りにおいて、王国は実現するのである。『主の祈り』の中で、私たちは、この意味で、全世界が神の支配下に入るように神に願い求める:

 … み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

 そこで今日、イエスは御国について2つのたとえ話やイメージを示された。第一に、ある人が庭に植えたからし種に例えている。その小さな種はやがて大きな茂みに成長し、鳥たちが巣を作ることができるようになった。

 この言葉が書かれたとき、イエスの宣教の担い手である教会はまだ小さかったが、一握りのイエスの弟子たちから始まった教会は、すでに大きく成長し始めていた。迫害や挫折に直面しているにもかかわらず、そしてこれからも直面し続けるであろうにもかかわらず、教会は成長し続けるだろうという希望と確信が漂っている。それ以来、種が低木ではなく大木に成長したことを知ったら、クリスチャンたちはどれほど驚くことだろう!

 現代に生きる私たちは、このたとえ話の希望と確信を新鮮に保つ必要がある。私たちが真理と愛に献身している限り、何も恐れることはない。

 第二のたとえは、神の支配を、女性がパンを作るときに生地に練り込む小さなパン種にたとえている。やがて、少量のパン種の影響を受けて、パン生地全体が膨らみ、上昇し始める。聖書では、パン種は発酵させるものであるため、通常は邪悪なもの、腐敗したものを象徴するが、ここではその成長効果の善良さが強調されている。

 これは、神の支配がどのように世界に広がっていくかを表している。それは、その世界に完全に挿入されることによって行われる。外的には見えないが、その影響は至るところで感じられ、徐々に変化をもたらす。クリスチャンとして、私たちは御国の代理人(唯一の代理人ではないが)となるよう求められている。それは、私たち自身が社会から切り離されるのではなく、社会の中に完全に入り込むことによってのみ可能となる。同時に、パン種が目に見えないとはいえ、そのパン種が変質させようとしている生地とは別のものであるように、私たちはクリスチャンとしての明確なビジョンを保ち続けなければならない。

 これが浸透のように見えるなら、そうなのだ!しかし、それが神の真理、善、美によって推進されるのであれば、すべての浸透が悪いというわけではない。そのような浸透は、弱体化させるのではなく、築き上げ、変容させるのだ。

 Living Spaceとり

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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