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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第三十水曜日(10/26)

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後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。

ルカ13:30
集会祈願

🌸 第一朗読 (エフェソ6:1-9)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙
 1子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。 2「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。 3「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。 4父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
 5奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。 6人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、 7人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。 8あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。 9主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。

🌸 答唱詩編 詩編498 典19a ②③

アレルヤ唱 典271 ⑥

🌸 福音朗読 (ルカ13:22-30)

ルカによる福音
 22イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。 23すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。 24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。 25家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。 26そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。 27しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。 28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。 29そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。 30そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「救われるものは少ないのですか」という問いに対してイエスは、「狭い戸口から入るように努めなさい」と答える。「狭い戸口」とは何を意味するのだろうか。
 「戸口」とは、羊が出入りする木戸のような、人目につかない出入口のこと。マタイでは「狭い門」という。もっと立派な門を連想しがちだが、そこから、とんでもない誤解解を生んだのかもしれない。日本では、「狭き門」は、もっぱら、受験戦争の厳しさを表わす言葉ととらえられている。旧約聖書なら、救われる=永遠の命を得るためには、掟を守ること、正しい生き方をすること、神を愛すること、ととらえられていたに違いない。
 では、イエスは何を言おうとしたのだろうか。「ご一緒に食べたり飲んだりしました」とか、「広場で教えを受けました」とか言っても、それはイエスが求める答えではない。
 イエスの教え、旧約とは違う、イエスの独自性はどこから来るのか。それは、自分が何かをした、掟を守った、神を喜ばせることをした、祈りを欠かさなかった等のことではない。むしろ、自らの小ささ、みじめさ、罪深さを認め、もっぱら、神のあわれみにより頼むこと、あの徴税人の態度。自分の働きではない、他から来る何か。そこにあるとはだれも考えない、神が無償で与える恵み、それをひたすら、へりくだった心で受け入れること、それこそが、救いの本質を示すものではないか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 8月1日の安倍国葬についての岸田総理への司教団声明を読んで、もっと早く読むべき勇気ある文書だと思った(ただ知性遅れの日本人には響かないとも思う)。
    私は当時働いていた介護施設のテレビで焼身自殺未遂者も出たことを知り、国葬当日は、憲政史上最短の選挙期間であった昨年衆議院選投票日当日と同じく、何が起きてもおかしくない、岸田総理は安倍ちゃん同様(朝日新聞取材班『検証イスラム国人質事件』岩波書店)テロを誘発するのがお好きだな、思った。
    地元で反対者による抗議行動を知ったが、賛成・反対いずれに対しても鉄砲玉が飛ぶと判断し、当日は抗議現場の交差点で道行く小中高生や抗議者の安全に努めた。地元警察は一、二度パトカーで通過し様子を見に来た。
    流石葬式好きの日本人、あの日は無事終わった。

    この欄に書いた、約束の現場に現れなかった信仰の先輩とは、みんな待っていたのにミサに来なかった司祭のことであり、別の小教区でミサの準備をしていて15分前に気づいた、同じ教区の司祭に怒られた、と電話口で笑っていた。タフで立派な司祭である。勿論、ちゃんと叱った司祭も立派だ。
    門脇・リーゼンフーバー論争?が懐かしい?

    安倍ちゃん追悼演説は国葬賛成派の野党?元総理が行った。流石日本!お涙頂戴。
    ぼくだったら日本共産党上田耕一郎あたりを抜擢するが、、??。ってバッテラ1つ喰えない貧乏書生が何を言う!と営業右翼に刺されそう?!

    マイルド・ヤンキーのアッキーこと昭恵夫人も内心、お気に入りの青年アイドルたちをはべらせて高級店で飲んでいた方が
    、、。まあ両方できるから日本の総理夫人が勤まるのだろう。マタイ11章8節。

    返信
  2. またやってしまった。
    一般に日本人は真実とか正義とかが好きではない。だから、どんなに言っても無駄なのに。各方面に、つい言ってしまった。

    最近、約束の時間に現れなかった信仰の先輩を心配して電話したら、むしろいろいろ励まされた。

    イエス様は無駄な戦いはしない、とマタイ4章荒野の誘惑を引き合いに出された。

    確かに、イエス様は悪魔を説得しようとはせず聖書を引用するだけだ。まして感情を吐露したりしない。他方、私は相手も人間だと思い、つい無防備に説得を試みバランスを失い余計に傷つく。

    聖書やカテキズムや司教団の文書や社会教説を勉強し、あまり自分を出さずに、やり過ごし、もっと祈りや沈黙の時間を取った方がよいのだろう。

    感情的になるのは、今日の福音、狭い戸口から入るように努める、というのと正反対なのに。
    家族・親戚・故郷から出るときなのか。
    母を犯罪弁護士に委ねたままでよいのか。

    返信

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