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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第三十主日(10/24)

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あなたの信仰があなたを救った

マルコ10:52
集会祈願

いつくしみ深い神よ、苦しみや悲しみの中から救いを求める声に耳を傾けてください。あなたにより頼むわたしたちが、この集いをとおして、主の導きを確かに受けとめることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (エレミヤ31.)

7主はこう言われる。
ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。
諸国民の頭のために叫びをあげよ。
声を響かせ、賛美せよ。そして言え。
「主よ、あなたの民をお救いください
イスラエルの残りの者を。」
8見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し
地の果てから呼び集める。
その中には目の見えない人も、歩けない人も
身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。
彼らは大いなる会衆となって帰って来る。
9彼らは泣きながら帰って来る。
わたしは彼らを慰めながら導き
流れに沿って行かせる。
彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。
わたしはイスラエルの父となり
エフライムはわたしの長子となる。

🌸 答唱詩編 詩編126 典154 ①②③

答 涙のうちに種まく人は、
  喜びのうちに刈り取る。

神が捕らわれ人をシオンに戻されたとき、
わたしたちは夢を見ている思いがした。
わたしたちの顔はほほえみ、
口には喜びの歌が浮かんだ。  【答】

国々の民も叫んで言った、
「神は彼らに偉大なわざを行われた」と。
神はわたしたちに偉大なわざを行われ、
わたしたちは喜びにあふれた。 【答】

雨の後にネゲブの川が流れを取り戻すように、
神よ、私たちに栄を戻してください。
種を手に涙を流して出て行く人は、
束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。【答】

🌸 第二朗読 (ヘブライ5.1-6)

 1大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。 2大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。 3また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。 4また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。
5同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、
「あなたはわたしの子、
わたしは今日、あなたを産んだ」
と言われた方が、それをお与えになったのです。 6また、神は他の個所で、
「あなたこそ永遠に、
メルキゼデクと同じような祭司である」
と言われています。

アレルヤ唱 典273 30B

アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ10.46-52)

マルコによる福音
 46イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。 47ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 48多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 49イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 50盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 51イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 52そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

奉納祈願

聖なる神よ、あなたに仕える一つの民として集められたわたしたちがを顧みてください。大祭司であるキリストとともに、わたしたちも自分のすべてをささげることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

全能の神よ、あなたは豊かな糧でわたしたちを養い、心とからだを癒してくださいます。この喜びを多くの人と分かち合うことができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ここ数日の寒さで一気に秋が深まり、今年も終わりが近いことを感じます。典礼暦もあとひと月足らずで待降節に入り、新しい年を迎えます。こうした時期、今日の朗読箇所も、イエスの生涯の終わり、受難に近い時期の出来事が読まれます。

 福音に出てくるエリコという町は、都エルサレムの東、険しい坂を一気に下った死海に近い古い町です。エルサレムに通じる道の最後にあたる町です。そこでイエスは一人の盲人に出会います。マルコは、バルティマイという名前まで記しています。よほど、印象的な出来事だったのでしょう。道端に座って物乞いをしていた彼は、イエスが通りかかることを察知して、大声で叫びます。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と。当時、盲人は無力で、人々の善意にすがって生きるしかない、みじめな存在でした。そんな境遇にありながら、人々の制止をはばかることなく叫び続けます。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と。

 イエスは、彼を呼んでこさせ、喜び踊る男に、「何をしてほしいか」と尋ねます。「先生、目が見えるようになりたいのです」と素直に答える彼に、イエスは、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われます。典型的な奇跡の情景です。しかし、これは、イエスがエルサレムに入る直前、生涯の最後の奇跡です。エルサレムに入られると、もはや、奇跡を行うことはなさいません。

 この出来事は何を物語っているのでしょうか。共観福音書がそろって、イエスの最後の奇跡として、この出来事を記しているのは、それがただもう一つの奇跡であるということではなく、イエスがなさった奇跡を要約するような、象徴的な出来事だったからではないでしょうか。イエスは、短い公生活の間、多くの病人を癒されました。重い皮膚病にかかった人、手足の不自由な人、目や耳に障害をもった人、悪霊に憑かれた人、そのような自分の弱さ、みじめさ、無力さを、いやというほど感じている人に、健康の回復という大きな恵みを注がれました。しかし、それは、ただ、目の前に現れた病人に対する癒しではなく、世界中の貧しい人、小さな人、弱さを抱えている人、自分の力、人間の力ではどうすることもできない、そうした禍に見舞われている人々への神の限りない慈しみを表すしるしでした。自分の無力をいやほど実感している盲人は、イエスに近づき、憐れみを願うことで癒しの恵みをいただきました。神の全能の力を体現するイエスの前に、信仰を表明することだけが、必要でした。

 今日の第一朗読では、旧約聖書からエレミヤの預言が読まれました。厳しい言葉に満ちたエレミヤには珍しい、神のいつくしみの言葉、喜びと慰めにあふれる言葉が記されていました。「わたしは彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる回収となって帰ってくる。彼らは泣きながら帰って来る」と。

 これは、昔イスラエルの人々が北の王国にとらわれの身としての日々を重ね、ついに、時満ちて、先祖の地に戻ることが許されることを預言する言葉です。これは、イスラエルがたどった道であるだけでなく、すべての人が体験する神の救いの業を物語る言葉です。神は、人間が抱える様々な痛み、苦しみ、悩みから解放し、真の喜び、平安を与えることのできるお方です。

 わたしたちも人生の歩みを続ける限り、様々な形の闇、迷い、過ちを経験し、自分の弱さ、無力さ、みじめさを味わわされます。その時こそ、自分の力、人間の力にだけ頼るのではなく、神の力、光、導きに心を開きましょう。そして、この盲人のように、信頼をもって「わたしをあわれんでください」とはばかることなく叫びましょう。主はきっと、光を注ぎ、力を与え、正しい道に導いてくださいます。盲人の目を開く、と言うことは、神の世界に対して、目が開かれる、神の世界を見ることも意味します。主イエスだけが、目を開き、神の世界を開示する力をお持ちです。願いましょう。必要なことは、ただ、謙遜で、すべてを主に委ねる信仰の心です。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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