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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第七主日 A年(2/19)

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あなたがたの天の父が完全であられるように、

マタイ5:48
集会祈願

🌸 第一朗読 (レビ19:1-2、17-18)

レビ記
 1主はモーセに仰せになった。
 2イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。
 あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。
 17心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。 18復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

🌸 答唱詩編 詩編103 典93①③④

🌸 第一朗読 (一コリント3:16-23)

使徒パウロのコリントの教会への手紙
 16あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 17神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
 18だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。 19この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は、知恵のある者たちを
その悪賢さによって捕らえられる」
と書いてあり、 20また、
「主は知っておられる、
知恵のある者たちの論議がむなしいことを」
とも書いてあります。 21ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。 22パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、 23あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

アレルヤ唱 典267 7A

🌸 福音朗読 (マタイ5:38-48)

マタイによる福音
 38「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。 39しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 40あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。 41だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。 42求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
 43「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 46自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 47自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 48だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 短い年間の季節を過ごしてきたが、いよいよ今週水曜日から四旬節に入る。今日の福音は、山上の説教の前段の結びの言葉。有名な、「目には目を」、そして、「隣人を愛せよ」という言葉が出る。

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている」。この旧約聖書の有名な言葉は、ずいぶん誤解されてきた。旧約聖書の教えは復讐を正当化したのではなく、むしろ、出エジプト記、レビ記、申命記に記されているように、損なわれた正義の回復のための規定。たとえば、目を傷つけたなら、目をもって、歯を痛めたなら、歯をもって、命を損なったなら、命をもって償わなければならない。復讐を認めたのではなく、むしろ、損なわれた正義、不正を、ふさわしい程度で回復する(賠償)という規定。当時の社会で一般に認められていた掟、同害報復法、と言われる。やられた方としては、どれほど恨みや憎しみを感じても、それ以上のことを求めてはいけない、という規定。人間一般の感情(本能)からすれば、結構進んだ考えではないか。

 しかし、イエスは、そうした掟を廃止し、一切の復讐を禁止する。正義の回復以上のことを要求する。それは、社会の中に悪が存在することを認めても、悪人に手向かうことを禁止する教え。犯された悪をひたすら忍耐するのではなく、悪に屈しない強い姿勢を求める。だから、「だれかが右の頬を打つなら左の頬を向けよ、下着を取ろうとするなら、上着も取らせよ、1ミリオン歩かせるなら、2ミリオン一緒に歩け、求める者には与え、借りようとする者に、背を向けるな」と。まさに、革命的な教え。報復の権利を放棄し、復讐は一切神に任せよ、ということ。パウロもローマの教会への手紙ではっきり記す、「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(ローマ12.19)と。

 そして、もう一つの有名な『隣人を愛し、敵を憎め』という言葉。実は、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」という教えは、今日の第一朗読で読まれたように、旧約聖書にはっきり記されている(レビ19.18)が、「敵を憎め」という言葉はない。それにしても、隣人を自分のように愛することだけでも、偉いこと。「隣人」と言えば、イエスの時代、あくまで同胞、同国人の範囲で考えられていた。しかし、イエスはそれだけでなく、ルカが記す「善いサマリア人のたとえ」という具体的・印象的な物語をとおして示されたように、もはや、民族や宗派、国家、宗教を越えて及ぶ普遍的な愛として教えられた。だから、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言う。これは、復讐についての教え以上に、革命的な教えと言うべきかもしれない。

 イエスご自身、十字架の上で、自分を十字架につけた祭司長・律法学者たちを前に、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23.34)と祈られた。殉教者ステファノは、「主よ、この罪を彼らに負わせわせないでください」と祈り、そして、日本の殉教者、聖パウロ三木も、「太閤様、役人様をゆるします」と十字架の上から語った。

 しかし、どうしてイエスは、そのような極端なことを要求されるのか。どうしてそのようなことが人間にできるのか。よほど選ばれた人、鍛えられた人でなければできないことではないか。それは、旧約の厳しい掟に代わる、もっとレベルの高い命令ではないか。そうではない。これは、決して命令ではない。それが出来なければ地獄に落ちる、と言う脅しでもない。むしろ、あわれみ深い神の人間に対する招きである。

 イエスは言われる、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と。ルカは、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐み深い者になりなさい」と。人間が自分の力で実現しようとしても、決して実現できない高い目標である。しかし、神は、人間にそれが可能であることを信じ、人間に期待しておられる。そして、事実、人が神の前に静かに身を置き、神の力、神の霊、神の愛に自らを開き、それに従って生きようとするなら、主が愛する力を注ぎ、赦す心を与え、手を差し伸べる勇気を与えることを知っている。どうか、この信仰を固め、より主の望みに適った信仰者になることができるよう、それを通して、人々が主の存在をより身近に感じることができるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. とにかく今日の祈りの花は決定的。

    最近、決定的なことがやたら多い。

    今日も、各聖書箇所、福音。そして分かち合いが引用する、ルカ23:34と最初の殉教者と言われる聖ステファノ、そして聖パウロ三木・十字架上での最後の説教、
    いずれも、ものすごいエネルギーだ。
    十字架上のイエスにすべてが集約される。

    今日の福音で、イエスは日々の日常で、決定的に生きよ!と言われていると感じる。

    洗礼・死と復活。

    1549年、聖ザビエル来日の時、マタイ福音書の一部の日本語訳を持っていたというが、それで多くの人々が洗礼を受ける心意気がわかる気がする。

    朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。

    とはいえ、地震・疫病・戦争、、後の自分の傾きを鑑みると、ゆっくり・静かに、が肝要だ。

    まことの食べ物、まことのエネルギー・命であるイエス・キリスト。

    分かち合いの最後の段落の祈りに心を合わせたい。

    返信
  2. イエスは、、、正義の回復以上のことを要求する。それは、社会の中に悪が存在することを認めても、悪人に手向かうことを禁止する教え。
    分かち合いが、はっきり指摘してくれた。
    私自身が、まず決定的方向転換しよう。

    返信

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