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教皇の意向:子を失った親 (11月)

四旬節第二金曜日(3/10)

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わたしたちの目には不思議に見える

マタイ21:42
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記37:3-4、12-13a、17b-28)

創世記

 3イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。 4兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。
 12兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、 13イスラエルはヨセフに言った。
 「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」
 ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。
 18兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、 19相談した。
 「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。 20さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」
 21ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。
 「命まで取るのはよそう。」
 22ルベンは続けて言った。
 「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」
 ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。
 23ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、 24彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。
 25彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。 26ユダは兄弟たちに言った。
 「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。 27それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」
 兄弟たちは、これを聞き入れた。
 28ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ21:33-43,45-46)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。 35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。 36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。 37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。 38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』 39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。 40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」 41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」 42イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった。
 これは、主がなさったことで、
 わたしたちの目には不思議に見える。』
 43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
 45祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、 46イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日のぶどう園の農夫のたとえは、主人から大きな信頼を受けた農夫たちが、主人が送った僕たち、そして、最後には主人の最愛の息子まで殺害するという悲惨な話ですが、それは明らかに、イスラエルが辿った歴史が背景になっています。それだけ考えると、人間は救いがたい存在だとの印象を受けますが、それは、コインの一面だけを見るようなものです。
 たとえの後半を読むと、そうした人間の罪によって捨てられ、抹殺されたかに見えるものが、神の不思議な業によって、救いの歴史を前に進める貴重な器になったことが語られます。イエスは、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」、と復活節によく歌われる詩編の言葉を引用されます。「これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」(詩編118編)。
 わたしたちの人生にも、自分の落ち度のために招いた不幸、自分に何の責任がなくても、自分に降りかかって来る災難、病気、事故など、痛みや苦しみを伴う経験が少なからずあります。人間的な思いから、つい、だれかを恨んだり、希望を失ったりする誘惑にかられますが、そうしたマイナスの経験を主がプラスに替えてくださること、わたしたちの救いが、まさに、そうしたマイナスの極致とも言える、主ご自身の苦しみ、十字架の死によってもたらされたことを思い起こしましょう。
 そうした経験を受け入れる開かれた心を願いながら、四旬節の間、一層主に近づき、よりふさわしい心で復活祭を迎えることができるようお祈りいたしましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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