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教皇の意向:子を失った親 (11月)

無原罪の聖マリア 祭日(12/8)

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神にできないことは何一つない

ルカ1:37
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記3.9-15、20)

9主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
10彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
11神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
12アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
13主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
14主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。
お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
15お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」
20アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

🌸 答唱詩編 詩編98 典149 ①③

🌸 第二朗読 (エフェソ1.3-6、11-12)

 3わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
  11キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。 12それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。

アレルヤ唱 典256(無原罪の聖マリア)

🌸 福音朗読 (ルカ1.26-38)

ルカによる福音
 26そのとき、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 37神にできないことは何一つない。」 38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 救い主の母とされた聖マリアが、その受胎の瞬間から原罪の汚れを免れていたことは、1854年、ピオ9世によって教義として定められたが、背景には、長い教会の伝統があることが知られている。
 間もなく迎えるクリスマスは、キリストが天使の告げを受けた乙女マリアから生まれたことを記念するものだが、そこには、人間の理解をはるかに超えた神秘があることを忘れてはならない。
 神が、その独り子を人の世に遣わされるということは、まさに神自身の決断であるが、同時に、それを受け入れ、承諾する人間の協力なしに実現しないことも、事実である。聖マリアは、その人間の知恵でははかり知ることのできない神秘を、一人の若い女性として、神への全幅の信頼をもって受け入れられた。しかも、ルカは、それが、男性ではなく、うら若い乙女によってなされたことを強調する。(マタイは、むしろ、イエスの養父となるヨセフの決意ととらえている。)
 マリアは言う、「お言葉どおり、この身になりますように。」マリアは、神の使いが告げることばを、遣わした方の言葉そのものとして受け止めている。さらに、「この身になりますように」とは、この取るに足りない小さな「婢」(女奴隷)のような存在のうちに、大きな変化、神の業が行われることを、存在全体として承諾することである。
 こうした、人間の知恵を遥かに超える神にすべてを委ねることは信仰の原点、恵みそのものではあるが、そうした恵みを、聖マリアの取次ぎによっていただくことができるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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