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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十土曜日(8/20)

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聖ベルナルド修道院長教会博士

だれでも高ぶる者は低くされ、

マタイ23:12
集会祈願

🌸 第一朗読 (エゼキエル43:1-7a)

 1「主の使い〕は、わたしを東の方に向いている門に導いた。 2見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から到来しつつあった。その音は大水のとどろきのようであり、大地はその栄光で輝いた。 3わたしが見た幻は、このような幻であった。それは彼が町を滅ぼすために来たとき、わたしが見た幻と同じであった。その幻は、わたしがケバル川の河畔で見た幻と同じであった。わたしはひれ伏した。 4主の栄光は、東の方に向いている門から神殿の中に入った。 5霊はわたしを引き上げ、内庭に導いた。見よ、主の栄光が神殿を満たしていた。 6わたしは神殿の中から語りかける声を聞いた。そのとき、かの人がわたしの傍らに立っていた。
 7彼はわたしに言った。「人の子よ、ここはわたしの王座のあるべき場所、わたしの足の裏を置くべき場所である。わたしは、ここで、イスラエルの子らの間にとこしえに住む。

🌸 答唱詩編 詩編85 典81④⑤

: 神よ、わたしに目を注ぎ、
   強めてください、手をさしのべて。

救いは神をおそれる人に近く、
栄光はわたしたちの地に住む。
いつくしみとまことはめぐり合い、
正義と平和はいだき合う。 【答】

まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。
神は恵みを注がれ、地は豊かに実る。
正義は神の前を進み、
平和はその足跡に従う。 【答】

アレルヤ唱 典270 (61)

アレルヤ、アレルヤ。あなたがたの父は天におられる方ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ23:1-12)

マタイによる福音

 1〔そのとき、〕イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。 2「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。 3だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。 4彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。 5そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。 6宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、 7また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。 8だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。 9また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。 10『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。 11あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。 12だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 神殿でのイエスの説教。律法学者やファリサイ派を激しく非難する言葉が連願のように続く部分の出だし。山上の説教のように、イエスが様々な状況の中で話されたことを、マタイはここ、23章にまとめている。
 ガリラヤ湖の北岸にあるコラジンという村の会堂跡には、「モーセの座」と言われる重々しい石の座が残されている。かつて、律法学者やファリサイ派の人々はそこに座って、教えていたのだろう。はたして、イエスはそのような「座」から教えたのだろうか。むしろ、人々が生活する街中で、野原で、湖畔で、語られたのではないか。イエスは言われる、「彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは見倣ってはならない」と。彼らの行いは、人に見せるため、よく思われるためであると。
 さらに、「先生」、「父」、「教師」と呼ばれてはならない、あなたがたの教師はキリスト一人だけである、とも言われる。弟子たちに言われた言葉であり、同時に、マタイ福音の著者が教会の信徒に向けて発した言葉だろう。立場の違いを超えて、学ぶこと、倣うことの大切さを教える言葉ではないか。
 そして、最後に「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい」とある。「仕える者」(men for others)、聞こえはいいが、どこまで、実態がともなっているだろうか。名誉や評価、報酬のためでなく、人々のために尽くす若者が日本の社会に、また、世界に、一人でも多く誕生することを願う以前に、わたしたちの生き方がそれに近づけるよう祈るべきではないだろうか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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