集会祈願
🌸 第一朗読 (フィリピ1:18b-26)
18〔皆さん、〕口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。 19というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。 20そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。 21わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。 22けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。 23この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。 24だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。 25こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。 26そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります。
🌸 答唱詩編 詩編42 典144 ①②③
アレルヤ唱 典272 ㊵
🌸 福音朗読 (ルカ14:1,7-11)
ルカによる福音
1安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
7イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。 8「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、 9あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。 10招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 11だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスは、よく食事の席に招かれた。そして、今日の福音にあるとおり、イエスに厳しい言葉を浴びせるファリサイ派の人々の招きにも応じられた。案の定、人々の中には、疑いの眼でイエスのふるまいをうかがうものもいたらしい。
イエスもまた、人々の様子を御覧になり、上席を選ぶ人に気づいて、たとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない」。席が指定されていなければ、少しでもよい席を取ろうとするのが人情。当時のイスラエルでは、婚宴の席は、決められていなかったのだろうか。聖書の中で、「宴会」と言えば、神が人々のために催される最高のもてなしを表わすたとえ。預言者は世の終わりに訪れる、そうした祝宴の話についてよく語る。
イエスも、そのメッセージの中心である神の国について、「婚宴」のたとえをもって語られる。神が供される祝宴であれば、だれがどこに座るかは、宴会を主催する神が決めること。招かれた者が、自分で選ぶものではない。だから、イエスは言う、「招待を受けたら、末席に行って座りなさい」と。これは単なる社交術の話ではなく、神の招きに対して人間が取るべき対応についての話。
神の望みは、身を低くし、へりくだる人が上に、おごり、高ぶる人が下になること。婚宴の席ではなく、わたしたちの生き方自体、どうなのだろうかが問われている。(S.T.)