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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第二木曜日(4/11)

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御子を信じる人は永遠の命を得ている

ヨハネ3:36

聖スタニスラオ司祭殉教者(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録5.27-33)

 27〔その日、神殿守衛長と下役たちが〕使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。 28「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」 29ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。 30わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。 31神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。 32わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」33これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。

🌸 答唱詩編 詩編34 典128 ④⑤

アレルヤ唱 典265 ④

🌸 福音朗読 (ヨハネ3.31-36)

 ヨハネによる福音

 31「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。 32この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。 33その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。 34神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。 35御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。 36御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 復活祭から10日あまり、十字架に上げられた方が復活され、生きておられることを教会は、喜びのうちに記念している。しかし、4か月ほど前には、教会は幼児の誕生を記念するクリスマスを祝っていた。飼い葉桶に眠る幼児、天使のメッセージ、礼拝に来る羊飼いのことが頭に浮かぶ。
 しかし、復活節の間読まれるヨハネ福音書は、イエスの誕生については一切触れない。それが人の目に映った出来事だからだろうか。その出来事の意味を別の形で訴えようとしたからだろうか。ヨハネは、その子が成人して人々の前に現れ、人々の耳もとで語り、人々の前で行った不思議な業の意味を、人々の立場からではなく、神の目から見られた出来事としての意味を解き明かそうとする。ヨハネは言う、「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。・・・天から来られる方は、すべてのものの上におられる」「地から出る者は地に属し、地に属する者として語る」と。人々の前に現れ、語り、振舞ったその方が、「上からの方、」「天からの方」であり、そこで「見たこと」、「聞いたこと」を証しする方であると説明する。そして、その方が「地から出る者」との懸け橋になり、「信じる人に永遠の命を得」させるために人となられたことをヨハネは伝えようとしたのである。
 ヨハネは福音書の冒頭に「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」、と書き、そして、「イエスが神の子メシアであると信じ、・・・信じて命を受けるためである」、と、結んでいる。これこそ、福音の核心であり、復活に導く最も根本的な神秘である。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 第一朗読。
    大祭司は「あの名によって教えてはならないと厳しく命じ」たが、
    ペトロとほかの弟子たちは「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。、、」ときっぱり言う。
    人々は激しく怒り使徒たちを殺そうとする。
    そして福音の結語。「御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」と。

    人々に対して怒るよりも、神イエス・キリストに従うことに専念し、人々は神にゆだねよう。

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  2. イエス・キリストは、
    「地から出る者との架け橋になり、信じる人に永遠の命を得させるために人となられた」と分かち合いにあるが、
    架け橋がどれほど大変か、キリスト自身が示している。

    アモロス師が首に包帯のようなもの巻いていて、「スペインの新しいファッション!?」と言って、黙想の家の玄関で二人で笑ったことを思い出す。
    頭と体の架け橋だった。
    カバルス師を紹介してくれた。

    カバルス師もよい意味で過激な司祭だった。あれ?今どこに?

    来日された夏、上智の正門付近で足の不自由なカバルス師に随伴するアモロス師と再会した。

    今度はいつ?

    返信

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