集会祈願
🌸 第一朗読 (二コリント1.18-22)
18〔皆さん、〕神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。 19わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。 20神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。 21わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。 22神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。
🌸 答唱詩編 詩編119 典125 ①③
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マタイ5.13-16)
マタイによる福音
13〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
マタイが記す「山上の説教」から有名な言葉が続く。今日のテーマは光と塩。「あなたがたは世の光であり、地の塩である」。
あらためて、「塩」とは何か、と考えると、非常に深い意味が込められていることがわかる。今でこそ、健康のために減塩が勧められるが、昔は、実に貴重なものだった。日本では、海水から造られ、ヨーロッパでは、岩塩から取られた。「サラリー」という言葉があるように、塩(サル)は、給料に用いられた。食事に味をつけ、腐敗を防ぐだけでなく、イエスラエルでは、神殿への捧げものにはすべて塩がかけられたよう。その塩も、味を失えば、何の役にも立たなくなって捨てられる。
「光」は、旧約聖書の詩編の中で、「み言葉は道の光、足のともし火」(119編)とあり、神の言葉が、人生の道を照らす光と考えられた。イエスは、「あなたがたは世の光である」、と言われる。後に出る「ともし火」という言葉からすると、決して、現代人が慣れ切っている、照明のように明るいものではなく、ごく小さな、しかし、なくてはならない足元を照らす光のこと。
そして、その「光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な(よい)行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる」とある。それは、知恵や知識、技術、力ではなく、ごく些細な、人目につかない、人のための行いのこと。声高に叫ぶでもなく、見せびらかすでもなく、それでも、地道に積み重ねてゆく善行のこと。それが、人々にとっての、塩であり、光である、ということ。「一隅を照らす」といった高僧の言葉と重なるのではないか。(S.T.)