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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第十五金曜日(7/21)

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人の子は安息日の主なのである

2テモテ4:17b
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト11.10~12・14)

 10〔その日、〕モーセとアロンはファラオの前でこれらの奇跡をすべて行ったが、主がファラオの心をかたくなにされたため、ファラオはイスラエルの人々を国から去らせなかった。
 1エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 2「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。 3イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。 4もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。 5その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。 6それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、 7その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。 8そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。 9肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。 10それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。 11それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。 12その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。 13あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。 14この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。 

🌸 答唱詩編 詩編116 典97 ①③

アレルヤ唱 典272 ㉖

🌸 福音朗読 (マタイ12.1-8)

マタイによる福音

 1そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。 2ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。 3そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。 4神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。 5安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。 6言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。 7もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。 8人の子は安息日の主なのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 安息日に関連する話はどの福音書の中にもよく出てくる。イエスの時代のユダヤ人は、安息日の掟を異常なまでに重視していた。それが十戒の一つだからでなく、ユダヤ人の歴史の中で、特に捕囚後、神殿がなくなり、犠牲も捧げられない状況の中で、ユダヤ人としてのアイデンティティーを守るための大事なしるしだったからと言われる。ただ、それを重視するあまり、一切の仕事をしてはならない、という禁止の側面にばかり関心が向かい、掟の本来の意味が忘れられていった。
 安息日は、本来、神の創造の業を賛美し感謝するための掟だった。人間が働いて糧を得る、その前提として、神は、この大地とそこに存在する生き物を与えられた。それゆえ、週に一度、働くことをやめ、創造主である神を礼拝することが本来の意味だった。さらに、今日の第一朗読で読まれたように、神がイスラエルの民をエジプトの圧政から導き出された、そのことを記念する意味が加えられた。
 では、時間的、地理的に遠く離れた日本の地において、安息日の掟の意味は何だろうか。戦後の復興のおかげで、見違えるほど豊かになった日本において、日本人の働きすぎが批判され、休みが大きな関心事になってきた。労働時間の短縮、休暇の取得、長時間労働の禁止等、国民の喫緊の問題となった。ただ、そこで問われるのは、法令の遵守という一点で、それが目指している休みの本来の意味について、ほとんど問われることがない。コロナという未曽有の出来事の中で、聖書の民が残した「安息日」という遺産から、わたしたちが学ぶことが少なくないのではないか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. ユダヤ人も日本人も似ている。ヒントはたくさんあるがアイデンティティを獲得したいと焦っているから未だ神を知らない。
    創世記19章冒頭の御使いに気づかない。かえってソドムの町の男たちのように集団で法令遵守のスローガンの下、人殺しをしている。

    カール・ヒルティを久しぶりに読んだ。この人は神を知っていると思う。
    19世紀から20世紀初めに活躍した人だが、やがて、単純にキリストを実践すればよい時が来る!と預言している。

    今、その時だと思う。

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