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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十一水曜日(6/21)

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聖アロイジオ・ゴンザガ修道者(SJ)

隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる

マタイ6:6
集会祈願

🌸 第一朗読 (二コリント9.6-11)

 6〔皆さん、〕惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 7各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。 8神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
 9「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。
 彼の慈しみは永遠に続く」
と書いてあるとおりです。 10種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。 11あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。

🌸 答唱詩編 詩編112 典99 ①③

アレルヤ唱 典270 31B

🌸 福音朗読 (マタイ6.1-6、16-18)

マタイによる福音 

 1〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
 2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。 3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
 5「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 
 16「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 17あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。 18それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 毎年、四旬節のはじめに必ず読まれる、キリストに従おうとする者の根本的な姿勢を確認する言葉。施しをするとき、祈るとき、断食をするときの心構えについて。イエスの時代のユダヤ人は、こうした、掟として定められていないことでも、よく守っていたようだ。しかし、イエスは、そうしたよい業を、決して人に見せようとしてするな、と言われる。
 人には、だれにでも、他人の承認を得ようとする欲求がある。小さな子どもでも、何か上手にできたら、よいことをしたら、必ず大人の承認を求め、それが得られなければ不満を残す。大人であっても、無意識的に、他人の賞賛や賛辞を求めて行動していることがないとはいえない。他人の承認や賞賛は次なる行動への強い励みとなる。
 しかし、イエスは、そうした姿勢が、知らぬ間に心の伴わない偽善になることを警告する。「偽善者のようであってはならない」。旧約聖書には、「偽善」という言葉はほとんど出ないが、心を伴わない、形式的な礼拝や犠牲を預言者たちは厳しく非難し、神が喜ぶのはそのようなものではなく、「愛」であり、「神を知ること」だ、と言った。
 イエスは、そのような、人々の注目を求めて行う人はすでに「報いを受けている」という。「報い」とは、報酬(merces)の意味である。今の時代、まさに、報い、見返りがものを言う時代ではないだろうか。報いの有無によって、その多寡によって、人の行動は左右されるのではないか。そのようなこの世での報いを超えたところに、奪われることのない「父なる神の報い」があることをあらためて悟らせていただこう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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